#05 日巫女とユダヤ
元祖シャーマンと倭人伝〜
「卑弥呼」に関して残されている記録は僅かですが、中国の魏志倭人伝や三国志の中でいくらか当時の様子を垣間見ることができます。
現代でも卑弥呼といえば、緑色の碧玉の首飾りの人といったイメージを持ちます。
3「 その座にいますかたは、碧玉や赤めのうのように見え、また、御座のまわりには、緑玉のように見えるにじが現れていた。」-ヨハネ4章
しかしなぜ、 #01日本人であった卑弥呼が、日本神話や日本最古の歴史書とされている「記紀」である”古事記“や“日本書紀”にも、全く記されていなかったのでしょうか…
卑弥呼が登場する史書には、出身地、出自に関する記述もないようです。
「しかし、日本の国はなぜか、卑弥呼の歴史を明かしていない。ノーベル賞学者を輩出する優秀な日本人がそれを隠している。もしかすると、卑弥呼は日本にとって都合の悪いスーパースターなのか?と考えた」-海勢頭豊著
日本語では、卑弥呼、日巫女、日御子、… 漢字でそれぞれの意味は違えど、いずれも発音は「ひみこ」と読み、いずれも同一人物の存在を指すものと考えて下さい。
「日」という漢字はまた「太陽」をも表しますが、それは太陽の巫女であったからです。
他にも卑弥呼を別の呼び名で表している、姫子(ひめこ)や大倭姫(オオヤマトヒメ)など、調べればその他多くの呼称があるかもしれません…
いずれの呼び方にしろ、“卑弥呼”と記された”日巫女”は古代日本に実在した女性であり、神示を伝えて平和に導いていた「元祖シャーマン」的な存在とも言えるでしょう。
“卑しい”という当て字の名称は侮蔑表現ですので、これ以後は、卑弥呼ではなく日巫女と改めて表現していただきたいと思います。
「魏の明帝は、倭の女王に詔書を出し、遥か遠い所から使者を出し、贈り物を献上したことを誉め、女王に「親魏倭王」の称号と、その印としての金印と紫綬を授けた。その金印は、中国の皇帝が異民族の王に与えるものとしては、最高のものであったという。」-海勢頭豊著
この印の面には、「漢委奴国王」という五字が刻み込まれている。
「日巫女」が行っていたのは、いわゆるシャーマニズムのことですが、これは宗教とは全く異なります。
#04 でも述べたように私はト術や魔術や呪術ではなく、現代でも同様にそれは内なる魂の直観(霊感) や自らの思考や洞察や暦の月読み 等に基づくものです。
申命記18章
10「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、 11 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。」
12「 これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。」
卑弥呼と日御子~
邪馬台国総合説から抜粋
「七歳で黒田(奈良県田原本町)から出て、『独り御舟』に乗せられて、『虚の空、浪の上』を漂い、八歳の時に大内町の船越に流れ着き、みだによらい安堵の浦、居座の宮と次々にゆかりの地名が語られていく。
そして『大御前は弥陀如来四十八願あやまらず(中略)後の御前は父大王孝霊天皇崇めます不動尊の降伏に悪魔怨霊退きぬ』とあり、幼児期の伝説に続いて、百襲姫が突然、阿弥陀仏と同等の存在のごとく扱われているのである。
日本書記の伝承では、ある一つの反乱を予言したくらいの軽い扱いであるのに比べ、讃岐東部の伝承では『救世主」なみの極めて高い扱いになっていることは注目すべきことである」名護さんのお話し-海勢頭豊著
当時巫女であった日巫女は、僅かながらも神との繋がりや何かしらの使命感を抱きながら、男性同士の王位争奪で内乱の絶えない「戦乱ヤマト」の世直しに奔走していました。
「そこで一人の女子を立てて、倭国の王とした。名を卑弥呼という。」-魏志倭人伝
海勢頭氏が熱心にリサーチしてくれたように、女手一つで戦乱の世から、盗みはなく掟や法があり訴訟は少ない、約30国の平和な倭国を収めるまでに至ります。
「彼女はすでに年を取ったが、夫や婿はいない」-魏志倭人伝
生涯夫や子を成さなかった理由は、王位継承争いを回避する為でもあり、異性との交わりを避けて生涯独身を貫きました。
それはなぜか、もう少し詳しくお話しましょう。
もし、私がその時に夫を持ち子をもうけたら、長髄彦に直接皇位継承を与えられなくなる.....そこでわたしは、当時彼はわたしの実の子でも実の父でもなかったが、適任であると神の目に適ったわたしの息子の霊である長髄彦に皇位継承をし後を継がせるため。
ですから「女神」たる太陽の巫女であった日巫女が、「義理弟」と記された素戔嗚と交わる事などあり得ない話しで、この男の子孫など残すはずもないのです。
「苦しみながらも卑弥呼が、魏に対して一度も心を開かなかったのは、彼女が貢物の中に曲玉を入れなかったことで分かりました」-海勢頭豊著
上述の部分を正確に記すと、卑弥呼は曲玉(マガタマ)ではなく勾玉(マガタマ)で、それは曲がったことをしなかったという意味でもあります。
“年已長大“80歳を超える高齢まで生きたが、実際には自然死による寿命ではなく、死へと囲い込まれたといえるかもしれません… 血の繋がりの無い弟子が主の御心を裏切ったからである。
「卑弥呼の死後、倭国は改めて男王を立てたが、国中が従わなかった」-海勢頭豊著
「そして後を継いだトヨは、早速青い大きな曲玉を貢物として、魏の皇帝に捧げたと言うのです」-海勢頭豊著
この13才の少女トヨは、祟神が置いたお飾りで、卑弥呼の意志を曲げ、曲玉を捧げるに至った。
これまで女性とされてきた天照大神は、原初では月峰命の夫であった天照ですが、それにしても、男性の「須佐之男命」と男性の「天照大神」の間に子が生まれるはずもありません。
それにも関わらず、古い日本記紀から一般に広く普及されてきた末端に至る全ての情報までもが、さも「天照たる女神」と「須佐之男(スサノオ)たる男神」が二人が交わって、日本の神々を生み出したように描写され伝えられてきました。
誓約の真実~
日本神話には、ウケイの物語がありますが、これが、上述した場面に由来します。
現代では、このうけい(うけひ)は、天照大神と建速須佐之男命(スサノヲ、日本書紀では素戔嗚尊)が行った誓約は、古代日本で行われた占いである。とされていますが、そうではありません。
日本神話の一般的な伝承から真実だけを抜粋して載せましょう、以下のようなものです。
日本書紀 第六段本文
「素戔嗚尊(スサノヲ)は根の国へ行く前に、高天原の姉に会いたいと願い、(伊弉諾尊の)許しを得て天に昇ると、海は轟き山は鳴った。天照大神(アマテラスオオミカミ)はスサノヲが暴悪であるのを知っていたので、「弟は国を奪おうとしているのではないか」と言ってみづらを結い、男装し武装して、スサノヲに詰問した。」-抜粋
多加王は、侵略しに日本の神地に訪れます。
古事記から抜粋
「大神はスサノヲが国を奪いに来たと思い、みずらを結い武具を携えて彼を迎えた。スサノヲが異心がないことを述べると、オオミカミはそれをどうやって示すのかスサノヲに尋ねた。…」-古事記
神や臣下たちに罪を問い詰められた際、神農のひ孫であること自称し告げたことから神は一旦許容します。
しかし日神は、素戔嗚の心を疑い本当に腹に一物を抱えていないことを示すために、彼に対してウケイを交わさせました。
日本書紀 第六段一書(第一)
「日神(ひのかみ)は、素戔嗚尊が上り来るのはきっと我が天原を奪おうとしているのだと思い、武装して待ち構えた。素戔嗚尊は「私に悪心はない。ただ姉上に会おうと思って来ただけだ。」と言った。」-日本書紀抜粋
ここで日巫女に忠誠を誓い、二度とこの様なことをしないという契りという約束事、世に言う「宇気比、誓約、祈、誓」を交わします。
つまり、スサノオと宇気比(うけひ)をして実の子供が生まれたのではなく、これがうけいの真実の場面です。
しかし誓約後も、彼は侵略行為で殺人を犯したという罪人であることに変わりは無いため、罪を償うために飛ばされます。
そして素戔嗚は無道を理由に退去を命じられた.....
「無道」とは、行いが人の道にそむいていること。道理にはずれていること。また、そのさま。非道。
日本書紀 第六段一書(第二)
「素戔嗚尊は「私の来た目的は、姉上に会うことです。また瑞八坂瓊之曲玉を献上したいと思うだけです。他意はありません。」と言った。天照大神は「お前の言うことが嘘か実か、何を証拠とするのか。」と問い、「私と姉上で共に誓約(うけひ)を立てましょう。誓約で女が生まれれば邪心ありとして、男が生まれれば清き心ありとしよう。」と言った。」-日本書紀抜粋
手力雄命が見張りの同行者として素戔嗚に付き添い、たたら場の製鉄業に従事しながら罪の償いとして貢物の三種の神器を神へと献上します。
そうして、やがて多加王に素戔嗚尊という名前が与えられ、天照大神の義弟としての慈悲を受けますが、彼は後に卑弥呼の死後うけひを破っていきました.....
卑弥呼が亡くなった際、日食が起きたといいますが、それは天文学ではなく、太陽と月が消えたということを示していたのです。
≪倭国の卑弥呼没 正始 248年 ― そして現代に至る令和は、日本の248個目の元号である≫
手力雄命については、彼が岩戸の扉を放り投げると、信濃国戸隠山に落ちたという伝説が、戸隠神社にて今でも言い伝えられている....
義男の真実と兄弟〜
魏志倭人伝に記されていたこの「卑弥呼の義理の弟」とされる「男弟」という言葉ですが、これは非常にややこしく誤解を招きやすい言葉ですので、私による解釈を加えて少し説明をしましょう。
日本語ではよく「師弟(してい)関係」とも言いますが、この意味は ”師匠(先生)” と ”弟子見習(生徒)”といったソフトな上下関係を示す表現としても使われています。
西洋風に言えば、人類皆兄弟という様な表現があるように、日本語でも、男と男なら「兄弟」、女と男であれば「姉弟(してい)」という文学表現になります。
つまり、日巫女の政治を補佐していたこの「男弟」とは、この”師弟(姉弟)関係” の事を指していたのであって、実際に血の繋がりがあるのではなく実の弟でもありません。
「卑怯」とは、正々堂々としていないこと。正面から事に立ち向かう潔さがないこと。また、そのさま。「卑劣」。
「姑息」とは態度や言動がその場逃れで卑怯なこと。汚らしい言い訳や嘘などをついて自分の立場を守ろうとすること、ズル賢いさまを表す。
日巫女の死後、この政治の補佐に就いていた「義弟」と記された男が ”義理を欠き”、日巫女との約束を破棄して武力信仰側へと寝返ったのです。 -卑の語源。
日本書紀 第六段一書(第三)
「日神は素戔嗚尊と天安河(あまのやすのかは)を挟んで向かい合い、誓約(うけ)ひて「お前に害をなす心がないならば、お前の生む子は必ず男であろう。もし男を生んだら、私の子として、天原を治めさせよう。」と言った。」-日本書記抜粋
この、日神が素戔嗚に申した、“男を生む”、とは、男に二言は無いといった、雄々しさがあなたの内から生まれるか。それとも男でありながら、卑怯で姑息な、女々しさがあなたの内から生まれるか。という意味である。
人類皆兄弟、本当にそう言えるだろうか。
2 「善良な人は地上から滅び、人々の中に正しい者は一人もいない。彼らはみな、血を流すために待ち伏せし、それぞれ自分の兄弟を網で追い詰める。」-ミカ7章
兄弟は敵となり、弟子は師匠に恩をあだで返した。
こうして女性の祭祀王が収めた「平和な倭国」は、男性の統治王である男王(男弟)に変わり、それから「武力の大和」へと体制は一変していきました。
天変地異。
天が変わって地が異なった.....
平和な世は再び時代は戦乱へと逆戻りすることとなり、その後は神武東征と呼ばれる蝦夷狩りなど、血生臭く荒々しい世々へと移行していったのです。
須佐之男命(後の別名:神武天皇)は、時代を超えて神に祟られるような悪行を繰り返し犯した、まさに”崇神”であるにも関わらず、神武(日巫女が教示した神の武具の意味)の頭文字に天皇をつけて、自らを”日本の始祖”としたのです。
北朝系 vs 南朝系 〜
日本には、このように古来から北と南との戦がありましたが、これらの背景には薄っすらと、古代日本での北朝系ユダヤ人 vs 南朝系ユダヤ人などの関わりや争いなども浮かび上がってくるかもしれません。
篠原央憲著『天皇家とユダヤ人』より抜粋
「やがてダビデ王が出現、紀元前一〇一三年、エルサレムに王居を構えた。ついでソロモン王となるが、彼は豪壮な宮殿を築き、国民の反感を買い、その死後、国は二つに分裂してしまった。北と南に分裂したのである。
前七二二年、イスラエルの十支族を糾合していたイスラエルの「北朝」は、アッシリアのサルゴン王のために滅ぼされ、多くの国民が殺され、残った国民のほとんど全部が、アッシリアに虜囚として移されたのである。
ところが、この虜囚たちは、その後ばったりと消息を絶ち、どこへ消えたのかさっぱりわからないのであった。これがいわゆる「失われたユダヤ+支族」である。」-海勢頭豊著
バビロン捕囚となった北朝系は、東へ東へと逃れた。...そうして、後に、日本の北朝系ユダヤの人々のリーダーとなったのが、卑弥呼である。
やがて後を追うように南朝系が後に日本へと渡来してきて、北朝系ユダヤ人を根絶やしにするにまで至ってゆくのです...
日月神示 五葉之巻 第02帖
「霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東西南北は皆南ぢゃ、北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。」-岡本天命
現代における現在では、ユダヤという名称は、一般的に ”悪の象徴”として認識されており、我々はこのユダヤという言葉に対して、誰もが大変悪いイメージと嫌悪感を持たされています。
大まかに言えば、悪名高きロックフェラーやロスチャイルド等の大資産家など、裏で戦争を仕掛ける「白人系ユダヤ人」や、「南朝系ユダヤ人」、
あるいは表で戦争を引き起こす「中東系ユダヤ人」等、諸悪の根源のような悪として見なされている 「悪のユダヤ人」や 「自称ユダヤ人」たちです。
ヨハネ2章
9「 わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。」
ユダヤは「イスラエル」とも関連して繋がってきますが、「日ユ同祖論」についてはまたの機会に書いていきたいと思います。
ローマの信徒への手紙 11章
「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、 こうして全イスラエルが救われるということです。」
3「ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。」
つまずかせたものが、後につまづくのです。
ヨハネの福音 16 章
1「わたしがこれらのことを語ったのは、あなたがたがつまずくことのないためである。」
現代で悪名として知られるようになったこの「ユダヤ」というフレーズも、「源流」を辿れば、原初の良いものは全て悪によって背乗りされ、名前も名誉も悪用されてきたのです…
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