#45 十字架磔とゴルゴダの丘


 
十字架の磔の真相と完全な復元~

ここで世界に衝撃を与える十字架の真実を知らせましょう。

現代までに伝わって来たキリスト教の概念は根本から覆され、これまでの既成概念は完全に崩れることになるでしょう。

これなしには、昔の十字架刑の真実を永遠に知ることはできません。

世界のために、ここに真実の歴史を書き残しておきたいと思います。

有名な十字架上のキリストの最後の7つの言葉があります......

以下は、イエス・キリストが磔刑に処せられた際に十字架上で語ったとされる、キリスト教信者の間で知られています。

第1の言葉
•「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」(ルカの福音書23章34節)

第2の言葉
• 「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(ルカの福音書23章43節)

第3の言葉
• 「女よ、見なさい。あなたの子です」(ヨハネの福音書19章26節-27節)

第4の言葉
• 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか。)」(マルコの福音書15章34節)「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイの福音書27章46節)

第5の言葉
• 「渇く」(ヨハネの福音書19章28節)

第6の言葉
• 「成し遂げられた」(ヨハネの福音書19章30節)

第7の言葉
• 「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカの福音書23章46節)

世界中の人々がこの磔の言葉を神聖化し、何千年以上も輝かしい救世主として彼を見てきたことでしょうか....

この第1~第7までの言葉は、男性息子イエスによる、彼の栄光の十字架の言葉として記憶され、十字架上の死は輝かしく英雄視されてきました。

息子イエスの幼少期~

ここで回想をすこし語りましょう。彼は、両親に連れられてエルサレムの神殿に行き、12歳の時に学者たちと問答したことは書かれているとおりです。

ここでの文節のイエスは、父イシュアでなはく、息子イエスのことについて述べられたものです。

彼は、イシュアとマリアの下で、たくさんの知恵と賢さを身につけていきました。

ルカ2章

47 「聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していた。」

52 「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。」

40 「幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその上にあった。」

この幼い子は、両親からも世間からも一心に愛情を注がれて育ちました。

しかし彼は、やがて突如行方不明になったり、両親を心配させるようなことをするようになっていきました....

42「イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために上京した。」

43「ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。」

44「そして道連れの中にいることと思いこんで、一日路を行ってしまい、それから、親族や知人の中を捜しはじめたが、

45「見つからないので、捜しまわりながらエルサレムへ引返した。」

48「両親はこれを見て驚き、そして母が彼に言った、「どうしてこんな事をしてくれたのです。ごらんなさい、おとう様もわたしも心配して、あなたを捜していたのです」........

30歳代までのイエスは謎に包まれていたといいますが、それは息子が13歳に満たないころから家を出ていたからです。

吉凶な予兆としるし~

ルカ2章

28「シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、

29 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます、30 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。」

31「この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、32 異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります。

33「父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。」

34「するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。――

35「そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。――それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。

父イシュアと母マリアはこのとき不思議に思ったものの、人類の救済のための重い使命と十字架を背負っていたのでした....

主は、このとき人類に向けて、神の存在としるしを現したのです。

イザヤ書7章

13 「そこでイザヤは言った、「ダビデの家よ、聞け。あなたがたは人を煩わすことを小さい事とし、またわが神をも煩わそうとするのか。」

14 「それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。」

彼が神の息子として生まれたのは、主のしるしのためという定めにあったマリアですが、マリアは、自分の子でなくとも可愛がり、目をかけてやったのです....

マルコ3章 

28「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。」

29「しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

....28、29、とイシュアが言ったのは、罪の在る人が罪の在る人を冒涜したり、罪の重い人が罪の重い人に犯す罪はまだわかる、

しかし、罪がない下に生まれたわたしに対してそれをしたら、永遠に罪を負うといったのは、イシュアがわたしが何も悪くない、無原罪の星の下で生まれたことを知っていたからです。

マタイ1章

22 「すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、23 「見よ、処女がみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。訳せば、「神は我らとともにおられる」という意味である。」

皆さんがこれまでイエスと思って見てきた、男性息子イエスの実名は、この男の子、インマヌエルであったのです。

あれから現代に至るまでのキリスト教のイメージによって、人々から何千年も慕われてきた息子イエスですが、当時罪人として人生を終えてしまったことは、なぜか歴史から葬り去られていたのです....

これまでのキリスト教は、罪人の磔の姿を救世主として拝ませ、人々は罪人の遺した言葉を有難がって受け入れ、今日まで広めていたのです。

これは世界を揺るがす最大の衝撃的な事実でしょうが、これが真実であり、大きな根幹的な疑問と論争が解消されてくるでしょう。

これが、世のどこにも記されていなかった十字架刑の真実であり、神の啓示です。

インヌマエルの磔~

マトリックスから真実の世界へ
#22~つづいて、ようやく第四段階です。

マトリックスを完全に解くために、ここからは男性息子イエスを「インマヌエル」と呼んでいきます。

それで律法学者とパリサイ人たちは言った。「あなたはこの少年の母ですか」。彼女が、「わたしがそうです」と言うと、彼女に言った。「あなたは女の中で幸せな方。神があなたの胎の実を祝福されたのです。本当にこのような尊厳と徳と知恵とをいまだかつて見たことも聞いたこともありません」。...

二人で大切に育て愛し慈しんだ子がこのように戻ってきたとなれば、母も父も悲しまないはずがありません...

しかし両親は、子が親元を離れてからはどうすることもできませんでした。

昔ですから今のような携帯もなく、音信不通で両親を心配させたまま生き別れてしまってから、....

祝福されて生まれた子が、放浪の末に、原罪を犯して戻ってきたのですから。

結果的に彼は、世間から神の子として期待された、救世主、イエス・キリストとはなれなかったのです。

しかし私たち夫婦はたとえ愛した我が子でも、罪を世間から隠したりしませんでした。

十字架刑は古い時代の死刑執行で、インマヌエルは自ら磔になることを受け入れ、十字架刑に掲げられました。

父イシュアと母マリアは、このとき世界に向けて罪の断罪を示したのでした。

誰もが悪いことをすると、神の子でも誰でもこのような罰✕を受ける、ということを。

このインヌマエルが亡くなったのは、33歳のことである。

ユダの裏切り~イエスの死のあたりの章については、さらに様々な人の言葉や周囲の証言が混在しているため、ここでのイエスという名が、イシュアの言葉か、わたしの言葉か、誰の言葉か、誰の事か、特定するのは困難でしょうが、

インマヌエルの遺した言葉は上記の7つ文言だけ。

このイエスの磔は、してはなりませんという過ちの象徴であるというのに、罪人が救世主として描かれ、人々は皆、息子イエスのファンタジーを見せられていたのです....

罪の断罪のために公に示されたものが、歴書が一部破棄され、イエス・キリストの死後、闇側の手によって大きく歪められていってしまいました。

この十字架刑は、やがてイエスキリストの敵であった、反キリスト勢力に取り込まれてしまいます。

イエス・キリストの死後、権力を奪った反キリストのローマ支配者たちが、逆にイエスキリストの使徒たちの処刑に用いていったのです....

それゆえ、イエス・キリストを広めようとしたキリストの使徒たちが、逆に十字架にかけられたりするような悲劇が起きたのです。

人類はこれまで神の啓示ではなく、悪魔と人づてによってT字の罪人の磔の姿を、十字の救世主だと伝えられて思い込まされてきたのです。

救世主キリストのシンボルである“十”の十字架の形に対して、罪人の磔は首の折れた ”T”の形で表されます。

父イシュアの死については、混同しないようにここでは触れませんが、イシュアは、誠に神の御心に適う人でした。

25 「正しい父よ、世はあなたを知りませんでした。しかし、わたしはあなたを知っていました。そして、彼らはあなたがわたしを遣わされたことを知っています。」-ヨハネ17章

ですからわたしは、彼に敬意と尊敬のまなざしをもって彼をみて、彼をラボニ、先生、と慕ってつき従っていました。

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