#56 裁きで吊るか鶴かの9+の嵐



第 8 章
「小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。」

2024年2月16日「情報戦線が薄気味悪いほど静かだ。何か大きいことが起きるんじゃないかと思うほど静かだ。
薄気味悪いほど静かだ。こんなに静かなのは4年ぶりだ"ストームの到来を待つ"」- by Phil

そして今、巨大な蛇がうねるように扇動していた熱狂の渦から人々は逸れ、あの騒がしい米国の蛇たちでさえ静まりかえっているかのようです。

5「かわいた地の熱さのようだからである。あなたは外国人の騒ぎをおさえ、雲が陰をもって熱をとどめるように/あらぶる者の歌をとどめられる。」-イザヤ26章

皆んな吊るし上げられたかったのだろうか。私は鶴にして上げたかったのだが。

みんな待望の嵐を待っているのではないか、Queenの嵐は、遠くに飛ばされるか上昇気流に引き上げてもらえるか。

どちらも渦巻きだが、つむじ風の上空は晴れており、竜巻の上には雲がある。

23「 見よ、主の暴風がくる。憤りと、つむじ風が出て、悪人のこうべをうつ。」-エレミヤ書30

24 「主の激しい怒りは、み心に思い定められたことを行って、これを遂げるまで、退くことはない。末の日にあなたがたはこれを悟るのである。」

マアトの天秤と裁き~

静寂の中に、また騒がしくわたしを呼ばわる声が異国の地から聞こえた。

10 「彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。ヨハネ6章

目が覚めた聖徒だけでなく、生きる徒までがようやく騒ぎ始めた。

しかしわたしはすでにこのことを承知している。

これを書いたのはもう何千年も前のことであり、ここ数年の考えと思いではない。主はあなた方の背信と原罪の失明とによって真実を見せるのにこれだけの時間を待たされてきた。

忍耐強く在れ、あなたの1日は、主の100年のようなものである。

あなたの10年の忍耐は主の1000年、あなたの20年の忍耐は主の2000年、あなたの30年は主の忍耐の3000年。

今年で30年+9年(+Q年)

この裁きが私にとって困難で苦痛を伴うのは、さらに3000年以上前の封印をもこの期に解かなけらばならないからである。

フランスの写本の挿絵には、マリアが最後の審判の日に神の脇に座り、3000年も昔のマリアの原型といえる女神マートのように秤で霊魂を計っている絵があるようだ。

9 「わたしは夜、わたしの魂があなたを慕い求め、わたしの霊が朝早くあなたを捜し求めます。あなたの裁きが地に下るとき、世に住む者は正義を学ぶからです。」-イザヤ26章

みなは忘れているようだが、わたしは主と義人とキリストの使者たちの、悪人に対する裁きと報復を望む声と祈りの声を聞いてきました。

私はそれを一心に背負ってきました。そして神と神の子たちの想いと意志とを。そして未来予測と浮かんだビジョンが黙示録に込められている。

わたしはこの時を待ってきた、悪人も善人も蘇えらせるは、最期の審判の時だからである。

もう一人が生ける神の印を持って、日の出る方から上って来る。

天は終末に、これまでの自由意志の裁きの為にその地と国に人をわけて蘇らせた。

黙示録 13

16「そして、神は、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての者に、その右の手か額に刻印を受けさせます。」

裁きの日には、これまでの責任を問われる。またあなた方は、神によって義か罪かを定められ、すべての者はその額に霊的調印を刻印される。

17「御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか」-ヨハネ黙示録6章

父は全ての人をわたしの元に引き寄せた。そして人々はわたしの前に立たされ、自分の行いが善いか悪いか、これまでの行いを裁かれるのである。

27「そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。」

23「それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。」

また、父は子のそれをもって共に霊的刻印を押す者である。

これらはすでに押され、十二刻の時が刻々と刻一刻と刻まれていくように、さらに獣には深く刻印されている。刻を数えよ六刻印。

第一の裁き

それは、霊に関することである。

19「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。」-ヨハネ3章

この者たちは、やみを深く愛しやみと交わる闇の者。やがて悲しみの雨と痛みの霰とを受ける、獣の刻印を押された者たちである。

また、この者たちは天国にいけないだけでなく、第一第二第三第五の滅びの者は、来たるべき神の御国にも足を踏み入れられない者たちである。

第二の裁き

それは、信仰に関することである。

それは、わたしが来てもわたしを信じなかったことである。

48 「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。」-

また、わたしを捨て、やみに仕えやみを愛しながら、神を愛し信じていると、偽りの唇をもって申告する者も裁かれる。

第三の裁き

それは、命に関することである。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」-

しかし、わたしを信じず、また天での契を破った悪魔の子は滅び、滅びのものは、これを得ることができない。

24 「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」-

目覚めて神の下に帰した神の子は、死から命へと移り、墓で眠っている神の子は起こし、新しい世々へと連れていく。

第四の裁き

それは、罪に関することである。

19「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。」-ローマの使徒への手紙12章

悪魔は復讐と逆恨みをするが、主は報復と正義を行うのである。

なぜ、神は復讐は我に在ると言ったのか、それは、あなたたちが真実を見誤って裁く恐れがあったからである。

それはまた、あなたが悪人たちへの怒りと憎しみの殺意によって、悪人を手にかけあなたの手を赤く染めることないよう、善人が犯罪者や殺人者とならないよう、あなたたちを守るためであった。

すでにマスクXのテスラ社など、悪魔に激しい怒りをもって抗議活動をした者たちがいるが、わたしは彼らを罪に定めない。

暴力活動は血気盛んが過ぎるが、主の言葉を信じて悪魔に対して抗議の意を示した男気のある者たちなら、釈放してやれ。罪に問われるべきは、人々を欺き怒らせた悪魔たちの方だからである。

なぜ、裁くなといったのか、それは、真実が分からないと、人々は罪人を善人と見なし、また悪人を善人と見て、正義を正しく行えないからである。

また、真実が見えないと、人々は見誤って悪人の傘下に入ってしまい、これまでの様にいとも簡単に偽の神や悪魔の輿を担いでしまうからである。

そして悪人を叩くのは小さな正義で罪では無く、強い者であり、悪人を叩けないのは小さな罪で、弱い者である。

第五の裁き

それは、実に関することである。

その実、獣か人か。黒い実をつけた者はみな滅びの者である。

キリストは老若男女罪人大罪人、差別なく公平に無条件の愛と機会とを与えてきました。

しかし無条件の愛とは、すべての罪を赦すことではありません。

第一に、犯罪者は法で裁かれ、赦しは補償や求刑や懲役を服することでなされます。

第二に、全ての霊は天の御座で裁かれ、赦しと帳消しは聖霊によってなされます。

赦されるものは赦され、赦されないものは赦されないだろう。

私は決して悪を無視しない。またしっかりと善悪の判断を下し、その身の実の霊を見る。

本当の女神は、善なる生命を守るため、愛・真実・正義をもって悪なる生命を取り除き、そこに平和と秩序を取り戻していくでしょう。

正義なしに、真実の愛の実現もない、そして正義こそが、民衆への愛であり、大義である。

これまでに民主主義を奪った者、また不正選挙に加担した者たちはみな裁かれ、吊るされる。

吊るされる者たちはみな、滅びゆく滅びの者たちである。

24「誇る者はこれを誇とせよ。すなわち、さとくあって、わたしを知っていること、わたしが主であって、地に、いつくしみと公平と正義を行っている者であることを知ることがそれである。わたしはこれらの事を喜ぶと、主は言われる」-エレミヤ書9章

わたしは終末の裁きのために世を見てきたのである。そして今年巳年は、邪悪な蛇たちの最期の年である。

今や改心のときでなく裁きのときであり、時の終わりは清算時である。












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