#69 精神武装と永遠の鳥出
家の名の誉と親孝行娘~
2020年に公開された映画ムーランは、実は私はこの時期に非常に反中・反韓意識が高まっていたため、当初は興味を持たず2023年まで見ていませんでした…
鳳凰は、中国神話にも登場する霊鳥です。
中国、儒教の経典「礼記」では、めでたいことの起こる前兆とされる鳥。
映画ムーランにも、不死鳥のような鳥が時々主人公を導くようにして現れます。
私たちは、日本の最初で最後の、そして唯一の砦(トリデ)、鳥が出ずる鳥出(トリデ)です。
13 「それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」-ヨハネ1章
わたしの実家には、父と母がいて、わたしは子。
12「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。」-出エジプト記20章
わたしは、自分の両親を敬い心から愛していましたが、決して父と母に従順な子であったわけではありません。ただ、…神に従順な子だったのです。
17「彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」-ルカ1章
天地の父母を王様と女王、父と母を王子と王女、そして家の名を王国とするならば、私は家の名を高める親孝行で在りたいだけです。
わたしは誰に見られなくても、誰に称賛されずとも、誰に注目されずとも、ただ今日まで義を果たしてきました。
1「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。」-マタイ6章
幼少期は親の手伝いをして親の喜ぶ顔をみるのが好きな子でした。でも思春期や大人になった今でも、親と時に言い合いや反発や喧嘩だってします。
ただ、わたしたち親子は氣が合って仲睦まじく、決して切れない深い絆がありました。
育ててもらった両親に喜んでもらえることは、私が本当に大人になったという証であり、受けた恩を返したいと想うのは私の感謝の気持ちの印です。
そしてそれを、天地の父母へと返上するのです。
忠実で勇敢で真実な現実~
私の実の父は、昔から古代中国史が好きで、それは長男の名前に孔の字をつけるほどでした。
中国太古の地理書「山海経」には、鶏のように見える紋が見られ、頸に「徳」、翼に「義」、背に「礼」、胸に「仁」、腹に「信」があります。
「儒教」は五つの教義から成り、孔子は教義の中心に「仁」を据えて、徳の道を示した。
「儒学を大成した孔子は君子は仁者であるべきと説いた。」-孔子
仁者 これが忍者の真の起源である ニンジャ、忍ぶ者。
4「わがしもべヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼んだ。あなたがわたしを知らなくても、わたしはあなたに名を与えた。」-イザヤ45
父はまた、私の名前の中央に「仁」を据えた。彼のハートには、愛があった。
実の父の生まれ変わりはいくつもありますが、紀元前中国では孔子としても生きました。彼は中国で「道徳」を広めた儒教の祖である。
父も母も、善良で徳が高く、温かい誠実な者たちでした。
儒教五か条
仁
義
礼
智
信
これらを身につけること、これが基礎の精神武装だ。
あなたが学ぶべき事柄や、あなたがクリアすべき課題も、常にあなたの目の前に出されているのです…
人間の魂の中心の核は「真我」ですが、若年は魂が「我欲」に走り、誰もが多かれ少なかれ「自我」があり我を満たす。
子は我儘に見えたかもしれませんが、我(ガ)を脱がなければ魂の中心「真」には到達できない。ありのままの自然体で、邪心が無く無邪気で無我な大人、幼子キリスト。
九仁か条
仁
義
礼
智
信
忠
孝
勇
真。
仁、義、礼、智、信、忠、孝、勇、・・・真実。
両親でさえ、子であるわたしに及ぶことはなく、目の前にいる神を、神と見れていないだろう。しかし、彼らの内には、神への絶対的な信仰と敬意と尊敬が宿っているのを、子は見てきた。
私たち親子は、いつも善い行いと正義をただ黙々とやり通す。
実の父には義と勇が在り、口<行。無言の愛の献身という、寡黙な義勇の型が在った。
いつか私の両親は、わたしを孝行な娘の家の誉として私を改めて認めて喜んでくれるでしょう。
10「彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。」-ヨハネ1章
2024年6月19日 編集中のblogを書き終えて公開日が偶然にも父の日だったこと、実の父の汚名が晴れ最高の孝行が行えたことは感慨無量でした。
21「ヤコブよ、イスラエルよ、これらの事を心にとめよ。あなたはわがしもべだから。わたしはあなたを造った、あなたはわがしもべだ。イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。」-イザヤ書44章
永遠の霊鳥類と御月の者~
中国伝承での鳳凰は霊泉だけを飲み、竹の実を食べるとされ、梧桐の木にしか止まらないという。しかし彼は、竹など食べたことは一度も無い。笑。
その竹は60-120年に一度しか花をつけず、そのタイミングにしか実はならないとか。また、植物の竹には、60個ほどの節がある。
鳳凰は五色絢爛の色彩を持ち、偉大なる君主が現れるのを待って、この世に出現すると言われている。
中国最古の詩篇「鳳凰鳴けり、彼の高き岡に」-詩経 大雅の巻阿
日本では、鳳凰は格式のある意匠として使われ、天皇陛下の乗り物であったと伝えられている「鳳輦」や神様が移動するための乗り物である神輿の屋根にも鳳凰が飾られています。
2019年10月22日に行われた「即位礼正殿の儀」では、天皇陛下の玉座の高御座や皇后の御帳台の屋根に金色の鳳凰が飾られている....
雄が鳳、雌が凰。
父が鳳、母が凰。
そのつがいの身は結ばれ、その実の子は、昭和60年にこの世に生まれた。その子は、竹のように意識の成長が著しく早く、強くしなやかで真っ直ぐな一本気な性格だった。
24「あなたをあがない、あなたを胎内に造られた主はこう言われる、「わたしは主である。わたしはよろずの物を造り、ただわたしだけが天をのべ、地をひらき、――だれがわたしと共にいたか――」-イザヤ書
御月の御付きの者たち。
わたしの父と母は、いつもわたしに付き従ってきた人々で、神の心に適う善良な人々で、最も献身的で忠誠心があり、絶対的な正義感と信頼に足る人であったゆえ、母は神をその身に宿し、父はその手に神を授かった。
彼らの中には、神の奇業を目で見れずとも、神への揺るぎない信仰心があった。
信仰と義の道~
信仰がなかった者たちと我(ガ)が強い人々は、神の奇業を垣間見る機会を得て、何十年も彼を見て、わたしを見たが、自分の道を治し、我(ワレ)を正すことができなかった。
マタイ21章
32「なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちを信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
幼子キリストは、全ての国々と人々と、義を結ばせるために来たのに、目覚めていない多くの人々は、税金を納めるお役所の政治家や、アイドルや有名人を信じて、わたしを見れなかった。
また、神を信じているといいながら、諸々の不義の国々の中には、主から油注がれた者に反抗的で、彼の声に従わず、また、わたしや日米に対して歯向かおうとする赤旗やX印の宗教の旗の指導者も見えた。
神と儒教を捨てて無神論国家となった中国と中国共産党は道徳を失い、スパイとプロパガンダ養成機関に孔子の字を当て孔子学園として、偉人の名を汚した。
ジャイアントパンダとクマはクマ科で、見た目は違うがよく似ている。獣は日米の米びつを荒らしたり白米を欲している。
9「主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。」-詩篇98
丸印の旗のまことの日本人なる神民は、永らく女神について従ってきた従順な者たちであるために、女神から慈悲が与えられ、わたしと共にこの国に集めて悪魔の手から白米を保護しておいた。
12「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」-ヤコブの手紙1
女神の戒律によく従ってきた白米は、今は貧しくとも他国から盗まれているだけで罪が少ないので、イスラエルの神の命によって、来たるべき神の御国に入れる権利を天から得た。
その白米が由しとされるのは、一時的に神への信仰の掟が薄れてしまっていても、外国からの長年の愚民化政策によって、骨太の日本の民の骨がこれだけ弱まってしまった、我が民への憐れみを、主がその心にもっておられるからだ。
5「愛する兄弟たちよ。よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富ませ、神を愛する者たちに約束された御国の相続者とされたではないか。」-ヤコブの手紙2
わたしが現れて世に真実の顔が晴れれば、正しいことと真実を好む我が民は、かならずわたしに従い、神の元に帰ることをわたしは知っている。
無事帰す日本の神民には、主の戒律をよく守った行いによって、その死後、天からの采配によって神の御国へと産み出され、幸を得る機会を与えよう。
無事帰る米国の人民は、戒に欠けるが、その真心からの信仰と忠誠心によって、神の寛容と慈悲によって、白米と共に蔵に常備して徳を得させよう。
3「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に 導かれます。」-誌篇
フェニックスがあなたたちを空から見守っていて天へと導く。
古代から中国では、鳳凰は「聖天子が現れる時に姿を見せる吉兆の瑞鳥」と伝えられてきました。「聖天子」とは平安をもたらす統治者。
「鳳凰が姿を現すのは、聖天子が現れる兆し」
忠義と自信~
お天道様は本当に見てるぞ。
8「 天よ、上より水を注げ、雲は義を降らせよ。地は開けて救を生じ、また義をも、生えさせよ。主なるわたしはこれを創造した。」
人からの称賛を求めず、ただ天からの称賛を求めよ。
しかし、たとえ私自身が自らの行いを肯定して自画自賛しても、主に認められなげば、それは仕事を果たせていたとは認められないでしょう。
わたしは自分も源も欺くことなく、自分からも源からも認められるように行えたなら嬉しく思うし、厳しい目をもって自己点検してきたつもりだ。
だからこのように胸を張って言いましょう。
私は聖なる主に仕える最も信頼の厚い従順な女戦士でもあり、その忠実で誠実な部下でもある自分自身のことを、非常に誇らしく思っています。
そしてそれがまた、私の自信と誇りです。
10「義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。」-ヨハネ16章
真の義であるのは、ただ一人まことの神である。
また天地の父母は、世に打ち克って、共に聖なる義に生きた。
24「これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。」-ヤコブの手紙2
義を果たす我々は、永遠性に生きている。
اَلْقُرْآنُ, 「神に不義を働く人間がいるが、最後の審判で、神からそのことに関して、お言葉がある。もし不義を働くと、人間が最後にどうなるかを、ユダヤ人にも伝えるとよい。もしトーラーの重さに耐えられないならば、ロバである。」 - イスラム聖典コーラン5-8節
神から永遠を受けられるチャンスは、あなたが忘れた頃にやってくる。
2:10「死に至るまで忠実であれ」
そしてあなた方の義とは、人との間の結びではなく神との間の結びである。
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