#39 マルタとマリアと婦人たち

 



べタニアのマリアとマグダラのマリア~

ベタニアのマリアは、聖書に登場する女性です。

ベタニアのマリアとマグダラのマリアが同一人物なのか、世間では議論や憶測がなされてきたようです。

ここでは、その疑問と議論に終止符を打ち、人々の誤りと偽り言と誤認を払拭していこうと思います。

皆さんが聖書を正しい解釈をもって読めるように、神の視力によって目が暗い盲人を癒し、人々の目を明るくしましょう。

涙と奉仕と恵み~

ルカ7章36-48

36 「あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。

37 「するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、

38 「泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。」

当時は、女性たちが公の場や人前で長い髪の毛を下ろしていることだけで、不道徳と定義されていました。

髪をまとめ帽子を被らず髪を下ろす=淫らな娼婦の様だ=不道徳な女=罪の女とされたのです…

44 「そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。」

45 「あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。」 

46 「あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。」

彼のほほではなく足に口づけて油を塗ったのは、マリアの謙虚さと感謝の愛の表れだったのです。しかし、罪深い人たちは、まだ主に感謝を示す挨拶さえもしないほど無礼であったのです....

47「だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 

わたしはイシュアにも、またすべての人にも愛を持って、言だけでなく最も大きい愛を世にすべて与えてきました。

たとえば、あなたたちは、神が人生で与えたすべての恵みを神に返せますか?...きっと無理でしょう、そしてすぐには無理でしょう。

だから私は、わたしから金を借りても、返せない貧しい者たちを赦して、くれて与えてやってきた。

48 「そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。

そしてこの罪がないと主にも認められ、また懐が深いマリアを、世の中の人々が、マグダラのマリア=多くの罪を犯した人物......といった風に印象付け、どれだけ誤って解釈し世に浸透していることでしょうか。

罪深い悪人たちは聖書を手に説法し、神の言をサタンの書き手が印象操作し、加えて無知で真理のない不完全な解釈を布教していった一般人たちによって、聖書を完全に正しく読める者はもはやいなくなっていました。

現代では、罪深い女=マグダラのマリアというイメージが定着化し、懺悔した娼婦の看板までつけられている有様です。

娼婦は銭と快楽に満たされて踊りながら笑い、処女は銭と快楽を奪われて踊りながら泣いていました。

わたしは無原罪の乙女マリア、また、𝓐~Ωに至って、すべての世の子の中で、罪が最も少ない者、それが、聖霊なのです。

私には、本来生まれながらにして、本当ならこのような苦労はする必要さえありませんでした。

誰のための苦労か、誰のための言か、誰のための行いか、

それは、あなたたちのためである。

聖母の信仰と奉仕~

50「イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言われた。

時のマリアは、イシュアから信仰深さも認められただけでなく、心の内から生まれた聖心(セイシン)に従って彼に尽くし、行をもって最も大きな献身を注いできました。

そして、その精神(セイシン)は今も変わっていません。

しかし、皆さんが信仰深いからといって、神に何の「得(トク)」があるのでしょうか?そして、信じていても神に対して何もしないなら、人には一体何の「徳(トク)」があるのか....

多くの人は、自分が得したり奪うことだけを考え、与えることも返すこともなく徳もないのです。

「聖母」の漢字は、人格の優れた尊崇される人の母を意味し、漢文においては人徳を極めた女性に対する敬称です。

現代では、感謝と挨拶のキスなら悪人でもできる。今では、言を真似るなら悪人でもできる。言と言の交流なら誰でもできる。

しかし、自らの内に唯一神を見出し、神の言の行と戒を体現している者はいかに少ないことか。

わたしたちは、自分たちの持ち物を与えて仕えて奉仕した。

「奉仕」とは、自らの内側の感謝から出てくる自発的な行為です。

悪人のように、イエス・キリストに邪心や企みを持って近づき、利益を得るための行いではありません。またそれは、人から言われたからやる、といった外部的影響を受けての行いでもありません。

奉仕とは、自らの感謝の心から自発的な行いでしたいと思う、無私の心から成る内部的影響からの行いです。

貧しい者たちは、銭を失いたくないために自分の持ち物を与えず、主に仕えませんでした。

卑しい者たちは、彼に感謝の気持ちを返さず、ただ貰ってありがとうと言だけ言って、与えてもらったもので自らの腹と懐だけを満たしました。

裏切り者たちは、与えてもらったもので自らの腹と懐を満たしたら、その後は、敵意や隠蔽や殺意や背信の気持ちを返してきました。

罪深い人々は、彼が輝かしかったゆえに、彼を隠蔽し、彼に嫉妬し、彼の真実の愛の歴史を壊してしまおうとしてきたのでしょう。

罪深い人々は、彼女が輝かしかったゆえに、彼女を隠蔽し、彼女に嫉妬し、彼女の真実の愛の歴史を壊してしまおうとしてきたのでしょう。

どうでしょうか。今も人々は、助けてくれている救世主に対して一体どんなことをお返ししていたでしょうか?

同じことが起きているのは、人々の霊が未熟で発展しておらず、人々の罪が深いという何よりもの証拠です。

貧しい者と富める者~

42 「ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。

43 「そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。

44 「みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」~マルコ13章

わたしはまるで、このやもめのように貧しいかもしれません。しかし、わたしはそれでもなお、他者に無償で与えているのです。

その聖心は、富める者にも、貧しい者にも、高い者にも、低い者にも、大人にも、子供にも、男にも女にも、老いた者にも、幼い者にも、真実の恵みが万人にいきわたるようにするためです。

今では、神を待ち望む人々のために書き物を進めるために、最後の貯金を切り崩してまで行っているのです。

それは、わたしのためにやっているのではないのです。

それに、誰かからお金を貰ってこれをやっているのでもありません。彼から何も直接貰ってもいません。

神とは、天にいても地にいても、また貧しくいときであっても富めるときであっても、溢れる豊かな心があるのです。

ここまで世が狂わされたのは、大罪人と罪人がゆえの始末と顛末ゆえ、これを抜きにして天の地固めと御国は作れないのです。

令七年、時飛んで、これを目にした。

1846年2月22日、自由の鐘はジョージ・ワシントンの誕生日を祝って、独立記念館の尖塔で数時間に渡って鳴らされたそうだ。...

....しかし、この鐘が鳴らされた際、修復された割れ目部分の上部から鐘の冠の部分まで亀裂が入って広がってしまい、使用不能になってしまった。と、言われている.....

儀礼と霊的帳簿~

世は、これまで誰から養われ、誰から与えてもらい、誰から教えて貰って、ここまで成長して進化してきたというのでしょうか。

与えて貰ったら本人に返す、大人になったらそれが、感謝と敬意の意を表する、相手への律儀な礼儀や恩義というものです。

与えてくれた人ではなく、貰ったものを別の人に与え、他の人に渡していたら、やがてエネルギーのバランスの均衡は崩れます....

これが、今起きているエネルギーバランスの不均衡による世の歪みと、生命の樹と知恵の樹の搾取化です。

神は近い将来、最大の富の移転をし、死人生人に限らず、奪われ盗まれた富・名声・地位・財産を全てその所有者へと戻させる。

悪人たちは負債と魂に罪を追い、神から借りた借金と恵みを少しも返すことができず、さらに霊的負債とカルマと罪を背負った。

神を蝕ばんできた寄生虫たちはすべて追い払い、新しい世々子々孫々、徳高き高潔なものと義人たちに恵みを与える。

マルタとマリア~

ヨハネ11章1-5

1「ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。」

2「このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。」

5「イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」

ルカ10章38-42

38「一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。」

39 「彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。」

イシュアが彼女らの家を訪れた時、迎えた姉マルタが接待のことで忙しくしていたのに対し、妹マリアはイシュアの語る言葉に聞き入っていた.....

時代はひどい男尊女卑の父系社会となっており、女性たちが家畜同然に扱われていることに、わたしは大変心を痛めていました。

女性たちは命に値しない、などと酷く蔑まれていた時代に、私は家事よりも、女性たちの解放と教育と向上のため、教育の普及や女性の地位の見直しを求めたのです。

そんな中で女性を人として扱おうとしてくれた、イシュアの姿勢や思想に非常に共鳴と感銘を受け、わたしは彼の教えに誰よりも耳を傾けたのです。

彼は当時教育の機会さえ与えられていなかった時代に、女性たちにも教えを施すことを由として、彼は弟子や仲間として迎え入れてくれました。

ですから、私は彼を尊敬し、染み入るほど彼に深い感謝の念を抱いたのです。

私はこの時、一家のことでなく、全家のことを考えていたのです。

40「マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。」

「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」 

41 「主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。」

42 「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

現代の私の母のセリフとよく似ています.....母が私にあれをしなさい、これをしなさいと求めるように、母は母なりによかれと思って子を心配するものです。

マリアとマルタの今~

私の社会生活といえば、2020~フリーランスとなりましたが、今月でその仕事も辞めることにしました。

そんな私の日常は、毎日パジャマ姿で家にいながら、家事や掃除や美容に時間も割かず、...こんな私を見たら、ぐうたらな人間だと思われるかもしれません。

でも、わたしは、これは世界を救うためだから!と言って、母の小言を聞けず、時に喧嘩もあります。

一見どんどんぐうたらになって、まるでニートのようになっていくように見える子を、世間が知れば廃人のようだと心配されるかもしれません。

しかし、そんな私も幼少期はそうではありません。親を喜ばせたい、親が喜んでくれることが嬉しくて、わたしは常に親の手伝いを自発的にするような子でした。

母は私の最大の理解者ですが、人の子として重大な使命をもっていることを、母ははっきりとは知らなかったのです。世間の人々は、それよりもさらに何も分からなかったのです....

マルタは小さいことで思い煩い、マリアは大きなことで思い煩っていたのです。

プライベートは誰も見ていないし、それよりも他のことに頭や時間を使わなければならない、彼氏もいないし誰も見てないんだから身なりなんてどうでもいい....

一家のことで働くなら楽でいい、でも全家のことで働くなら大変です。

わたしがこの世で思い悩み、心を乱していたのはそのためだったのです。

母体(ボタイ)と母胎(ボタイ)の子育ての悩み~

かつての男尊女卑の時代から~今や現代では男女平等となり、女性の社会進出が目覚ましく、世の風潮は女性の社会進出と外での活躍が求めれるようになりました。

しかし私はこの風潮が嫌でした。正直この黒い世界や悪人や性格の悪い人たちが嫌いで、外に出たくなかったのです。20歳から就職したものの、若い頃から願わくば専業主婦をと心の内では望んでいました…

前提として元来、私はとても熱心な働き者であって、自立心や独立心が旺盛なので、決してニート思考やヒモ思考はありません。

しかし嫌でも誰もがこの時代の黒い荒波を避けられることはなく、私も外で働くよう促されて男性と肩を並べるようになりました。

私たち女性は外で忙しく働くことになり、その結果、女性たちは過酷な労働で体は悲鳴を上げていました... 

また、家庭の母親たちは家を空け、子育てや教育や家事や育児に専念できなくなっていきました…

男性は外で働き、女性は家庭を守る。それは、古代からの風習ですが、女性に優しい政策です。

女子供というのは男性からすればとてもか弱き存在で、体力的な面では男性には及びませんし、身体構造上も異なります。

女性は生理がつきもので、過労やストレスで毎月のPMS症状や不調に悩まされる女性も多く、身体は男性ほどタフではありません…

地球の真の母体の女神を守り、母胎の女性たちを守る。それが女性の体を本当に労り、女性が健康美を取り戻し、女性たちが輝くための基礎根幹であり、女性のための最適な政策なのではないかと私は考えてきました。

女性たちの外での活躍は、本来であれば非常に良いことで、女性が輝ける時代はとても素晴らしいことです。

しかし見てください....表の旗振りの老若男女のリーダーたちの顔ぶれを見れば、どれもこれも悪人たちばかりです。

本人が望めば、老若男女内外、好きな様に夢を叶えて好きなだけ働けば良いと思います。

でも、愚かな女性たちが輝いて、賢い女性たちが輝けなくなり、悪人が栄え、善人が衰えるなら、この世の中の方が絶対に間違っているのです。

これは、わたしが創った神の世ではない。愚かな男女たちよ、俗悪な悪人たちよ、なぜこのようなことをした。

私は、これまで表でWEFの黒い旗を振ってきた、悪魔の若手世代のヤング・グローバル・リーダーズたちにも反対の意志を掲げています。

40歳以下の名もなき、裏の真のヤング・グローバル・リーダーズとして(自称)、私は今、家で世界のシンクタンクとして主導しています。

主に仕えたイシュアに愛された婦人たち~

わたしは、もしかしたら専業主婦がすきなのかもしれません。・・・それは、主の専業の婦人???

きっとイシュアは、わたしが家でいることを否定しないでしょう。なぜなら、私が家にいても働いていることをちゃんと知っているからです。

そして彼は荒波の中で、お父さんが守るから家にいろと、幼子キリストたちを守ってくれているのかもしれません。

世間では、家事をしない子マリアは未熟であり、家事をする大人マルタは成熟している。といった解釈もなされてきました。

この姉妹の態度の違いは、伝統的に「活動的生活」と「観想的生活」の比較を表すものであると考えられてきたようです...

しかし、男の神への最大の奉仕ができたのは、活動的生活を通して働いていたマルタではなく、精神的生活を通して働いていたマリアの方であったのです。

結果的に世間に対する意識と献身の大きい方は、マルタでなはくマリアの方だったのです。

Qによる世界を救う計画~

2006年に経済学者 #24 クラウス・シュワブによって設立された「世界経済フォーラム(WEF)」は、表の看板では、経済、政治、学究、世界、地域、産業、課題、等々、世界情勢の改善に取り組むことを目的とした国際機関とされています....

日本では、今や”日本一嫌われた経済学者”と称されるようになった竹中平蔵がいますが、彼もまた日本国籍をもった朝鮮中国系の悪魄です。

❝  彼らは弱者切り捨てで、弱者を守らなかったが、私は弱者を守る。
 彼らは善人と義人を切り捨てたが、私は汚人と悪人を切り捨てる。❞

そこで、本当に世界情勢の改善のために、真にこれらに取り組んでいるのは誰ですか?

昔も今も、それらを真に発展させてきた人たちは誰ですか?そして、その発展を破壊してきた人たちは誰ですか?

世界経済フォーラムという名の悪魔の経済フォーラムは、世界の経済を混乱と破壊と衰退に至らせました。

華々しい表の悪魔の国際機関がある中で....、誰が真にスチピチュアルという精神の自己啓発や、多岐にわたる研究報告書の発表をし、それを真にワールドワイドな視点をもって発展させようとしているでしょうか。

世界経済フォーラムの中で、外で活発的に働いてきた表の婦人たちでしょうか?
それとも、主のために活動的に働いてきた品格のある裏の婦人たちでしょうか?

私は決して表で人目につく派手な仕事はしていないが、人目につかず地味な仕事をしている私の方が、将来的に世に貢献し、よっぽど未来の子のためになるでしょう。

マルタは一家の教育者として、マリアは世界の教育者として。

マルタは一家を救った女として、マリアは世界の家を救った女として。

しかし、「マリアがマリアとなる前に、マリアはまずマルタであった、なぜなら主の足元に座ったとき、マリアはマリアではなかった」

....というのは、私はマリアではないとき、マルタのように忙しく、家事育児に献身的な完璧な母の役割は、すでに何度もこなしてきたからです。

わたしの最愛の母~

そんなわたしは、私の母の役割に対して、心から感謝と尊敬の意を抱いているのです。

私の母への感謝は、海ほど多く語り切れません。わたしの母は、癒し系でいつも元気で明るくて、チャーミングで素晴らしい徳高き者です。

愚痴泣き言を吐ける唯一の女の親友は母であり、母に隠し事などひとつもありません。善逸のように日々うるさく愚痴や泣き言をもらしグレる、黒い荒波の荒野におかれていた私の心をいつも温めてくれました。

わたしは大人になった今でも家にいて、辛いとき母に幼子のように抱きつきます。

14「それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。」~マルコ10章

母ほど信頼できる女性はいません。彼女は、聖霊の拠りどころでした。

ですから彼女は、いつの時代もわたしの側にいてくれます。

そして私はまた生まれ変わっても共にしたいので、彼女を自分の元に呼び寄せるでしょう。

いつかわたしの所業が、母への恩返しとなる。そんな母を喜ばせたいという気持ちを胸に、わたしは今日も家で陰行を行う。


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