#87 真イスラエルと蘇の栄光
カナンと決戦地~
それは神がアブラハムの子孫のイスラエルの民に与えると約束した地...
「カナン」については、地中海地域一帯の古代の地名や現在のパレスチナなど諸説様々あるようですが、地名や由来は明確には定まってはいないようです。
約束の地カナンとは。
日本の地図は世界の縮図とも云う説がありますが、日本を当てはめると大阪がイスラエルに相当します。
6「後になれば、ヤコブは根をはり、イスラエルは芽を出して花咲き、その実を全世界に満たす。」-イザヤ27章
イスラエルとはまた、実は「栄光なる伊せ、伊勢に栄光を」という意味でもある。
そしてこのカナンという音の響きは、現代の日本の大阪府にある河南(カナン)町を連想させます。
「河南」は、現代の大阪府南河内地域に位置する、南河内郡に属する町。
ここで、古代の決戦地を思い出してください…
... 神武は東征征伐で日向の高千穂から東へ進行を続け、やがて河内に上陸し孔舎衙坂で長髄彦と対峙した。
「4月9日、龍田へ進軍するが道が険阻で先へ進めず、東に軍を向けて胆駒山を経て中洲(うちつくに)へ入ろうとした。この時に長髄彦という者があってその地を支配しており、軍を集めて孔舎衛坂(くさえ の さか)で磐余彦尊たちをさえぎり、戦いになった。」-日本書紀
「伊勢」の元は「五十」で元は「伊都」にあり、「伊都」も「伊勢」も、源は「伊蘇」。
「伊勢神宮」は、神道の最高神で天皇の祖神が祀られている日本の神社の場所である。
「伊都国」とは、倭国内にあった日本国内の一つの国名であり、僅かに魏志倭人伝に記されています。
また伊勢地方に残る「蘇民将来」の信仰と日本神話は、諸説あるが現在まで不明確で定まっていない。
この「蘇民」とは牛の民という意味を含み、「蘇」はまたシュメールの祖を指し、この草冠の漢字は意味は、草の名/ よみがえる / 生き返る / 覚める / 目覚める。
仏教各派では秋分の日以降「秋季彼岸会」が行われ、宗派問わず人々は自分たちの先祖の墓参りにいくのが一般的となっているが、我々は墓にはいない。
ヤコブと神イスラエルの裁き~
28「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。」
29「善を行った者は、よみがえっていのちを受け、悪を行った者は、よみがえってさばきを受けるのです。」-ヨハネ5章
時を遡り、神武東征の時代・・・・・
古事記原文「故、その国より上り行でましし時、浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。この時、登美の那賀須泥毘古、軍を興して待ち向へて戦ひき。」
現代語訳「その国から出発して東へと向かいました。浪速の渡(ナミハヤノワタリ)を通って白肩津(シラカタノツ)に船を泊めました。そのときに、登美(トミ)の那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)が兵を集めて待ち受けていて、戦争になりました。
【@Nihonsinwa解説】:「その国っていうのは多分に吉備(=岡山県)です。ナミハヤ(浪速)は波の早い港のことで、このナミハヤが転訛して「ナニワ(=浪速→難波)」になりました。つまり現在の大阪です。
白肩津は東大阪市日下あたりにあったとされる船着場のこと。登美は現在の生駒山の西の「鳥見郷(トミノサト)」のことで、奈良県富雄町のこと。」-抜粋以上
泥の中から蓮の花を咲かす、五十蓮いつらは、五十の蓮。
第五十代、# 桓武も那賀須泥毘古も富雄丸山古墳# もこうして蘇えらせる。
一二三神示 第九巻 キの巻 第十一帖
「五十蓮 意露波 分かりたか」三月十四日 ヒツ九ノカ三 -岡本天命
26「 死人がよみがえることについては、モーセの書の柴の篇で、神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。」-マルコ12章
アブラハムが最初に神から受け取り、イサク、ヤコブへと受け継がれていったと伝わるカナン...
37「 死者がよみがえることは、柴のところでモーセが主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んだときにも示されました。
38「 主は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。すべての人は主のために生きているからです。」-ルカ20章
「ヤコブ(Jacobus)」の名は、旧約聖書の創世記に登場するヘブライ人の族長としても知られている。
54「主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けてくださいました、」・は善き者を助ける。
イスラエルの相撲と素moo~
現代の一般的な伝承を見ると、神の使いと組み打ちして祝福を受け、エルとスモウをとって勝ったことから、イスラエル(神が支配する)の名を与えられたと言われている...
しかし、わたしは相撲などしていないし、現代で国技とされている4Sのスポーツの相撲は、日本の本当の伝統国技でもなく、また、神は彼らには祝福を与えてもいない。
倭百襲姫の倭軍傘下の蝦夷や隼人たちは、卑弥呼亡き後、大和朝廷に残虐に刈られ、おびただしい隼人や蝦夷たちの戦死者がでた。
これは、別の時に記された備後国風土記逸文の一節「蘇民の女子一人を置きて、皆ことごとく殺し滅ぼしてき」というこの時のことで、善行を働いた蘇民将来の子孫をことごとく殺し、吾は速須佐能神なりと名乗った、巨旦将来を示す。
大和(ヤマト)は倭(ヤマト)を乗っ取り、神がヤコブに与えて相続した地を横取りして、その頂点の座についた。
日本の河南(カナン)を速須佐能こと神武天皇が奪い、わたしが長髄彦へと相続した神地と神権とを奪った。
この神イスラエルを違法に乗っ取った古からの不法移民の侵略者たちは、イスラエルの名誉・財産・権利・栄光の全てを盗んできた。
ヘブライ語で「かかとをつかむ者=人を出し抜く者」とはこれである。
「巨旦将来」とは、蘇民将来の弟の存在を指すが、この、人類皆兄弟と呼ぶべき全く血の繋がりがなかった弟が、兄を出し抜いて彼の長子権を奪ったのが、ヤコブを出し抜いて長子の祝福を得た、この神武天皇なのである。
彼らは裁きを受けるためにそこに蘇りそこにいて、終末で罰せられ、汚名を残して、これまでの偽りの栄光の名と財産と地位を根こそぎはく奪され、神の国から取り除かれる。
イスラエルの神は、日本の民のために、この約束の地と真実を与えて下さったのです。
そして日本人が戦うべき聖戦とは、この戦いである。我が民が一丸となってこれを果たし、国から全ての古えからの不法移民の子孫を取り除くために戦い、神の下に帰せば、これが日本人の勝利の形となる。
それゆえ、日本人なら誰であっても、神イスラエルと彼と真実のために戦わないのなら、わたしは我が民と思うことはなく、日本国民に祝福をこれ以上注がない。
天の怒りに触れてきた国賊の偽天皇家と悪神を担ぐその子孫たちは、降伏しなくとも、いずれ日本国から追い出され、滅びへと向かわせる。
しかし、日本人がこの聖戦に参加し、彼らが自身が勝利できなければ、神の栄光を見ず、祝福を得ないまま目を閉じる者もいるだろう。
22 「それゆえ、昔アブラハムをあがなわれた主は、ヤコブの家についてこう言われる、「ヤコブは、もはやはずかしめを受けず、その顔は、もはや色を失うことはない。
23「 彼の子孫が、その中にわが手のわざを見るとき、彼らはわが名を聖とし、ヤコブの聖者を聖として、イスラエルの神を恐れる。」-イザヤ29章
さて、この神の国で赦されない大罪を犯してきた、あの侵略者のイワレヒコはどこにいるか。
「戊午年の2月、浪速国に至る。3月、河内国に入って、4月に龍田へ進軍するが道が険阻で先へ進めず、東に軍を向けて生駒山を経て中州へ入ろうとした。この地を支配する長髄彦が軍衆を集めて孔舎衛坂で戦いになった。」-古事記
「3月10日、河内国草香邑青雲の白肩の津に至る。」-日本書紀
河内国草香邑青雲とは、大阪湾のさらに奥の生駒山のふもと、日下の入江の地へと上陸したイワレヒコは、長脛彦を討ち、彼に与えられた神地であった彼の領土、大阪の河内にいるではないか。
主の主は、神イスラエルを奪った者たち、そして今も奪い続けているその子孫たち、そして奪おうとする者たちをまるごと投げ捨てる。
第三イスラエルへの慈悲と裁き~
11「 そこで主の言葉がソロモンに臨んだ、
12 「あなたが建てるこの宮については、もしあなたがわたしの定めに歩み、おきてを行い、すべての戒めを守り、それに従って歩むならば、わたしはあなたの父ダビデに約束したことを成就する。」
13 「そしてわたしはイスラエルの人々のうちに住み、わたしの民イスラエルを捨てることはない」
4「あなたがもし、あなたの父ダビデが歩んだように全き心をもって正しくわたしの前に歩み、すべてわたしが命じたようにおこなって、わたしの定めと、おきてとを守るならば、
5「 わたしは、あなたの父ダビデに約束して『イスラエルの王位にのぼる人があなたに欠けることはないであろう』と言ったように、あなたのイスラエルに王たる位をながく確保するであろう。
6「しかし、あなたがた、またはあなたがたの子孫がそむいてわたしに従わず、わたしがあなたがたの前に置いた戒めと定めとを守らず、他の神々に行って、それに仕え、それを拝むならば、
7「わたしはイスラエルを、わたしが与えた地のおもてから断つであろう。またわたしの名のために聖別した宮をわたしの前から投げすてるであろう。そしてイスラエルはもろもろの民のうちにことわざとなり、笑い草となるであろう。」-民数記10章
さて、このソロモンはどうだった・・・・・
ソロモンはダビデのようには心を改めず、私欲と金欲と快楽の限りを尽くして、主の戒めと定めとを守らず、その堕落からやがて666の獣たちを誘発し、歯止めがきかない悪を栄えさせる引き金となった。
ダビデの子の暴政ソロモンの時世からイスラエルはやがて二つに分裂し、彼らは、神の言いつけに背いて誠によき親兄を捨て、異なる国や淫らな人々と偽の神に従っていきました。
時を変え、イエス・キリストの時世、このソロモンはふたたび大いなる祝福と生を受けたが、主の戒めと定めとを守らず、快楽に呑み込まれてふたたび原罪を犯した。
そうして時を変えて現代、彼は父から養子となる大いなる祝福を得たが、生まれからモーセの契約を捨て、若気からその身が老いるまで、快楽と私欲と金欲と名声欲に呑み込まれていた。
彼はまた、主の戒めと定めとを守らず、また、父の姿を見ても心を改めず、こうして悪魔サタンの化身の一人666の獣となった。
この者は、神を知りながら自らを神と自称し、さらに人々に神ではない悪魔である自分自身を神として拝ませようと、世界中の民を欺いた。
このソロモンから流れ出たケネディ家はまた、偽の神々に行って、それに仕え、それを拝み、長らく666の獣を崇拝してきた。
このサタンは神に挑もうと策をめぐらし、そのために数えきれないない程の罪を重ね、赦されない偽り事と大罪と戯言を吐き、主を喜びでなく怒りと怒りと怒りで満ちさせ、三度の祝福を三度の災いへと変えた。3×3が苦。
彼と彼らの子孫たちはまた、実際に神から20年以上も利益を受けて繁栄しながら、その神の名と我がイスラエルの栄光をもまるごと奪おうとし、さらにわたしを滅ぼそうとしてきた。
イスラエルの兄的存在であるヤコブは、このようなことを心に思い抱くことすらなく、このようなことを絶対にすることはなく、また弟や親を出し抜こうとしたり、神を討とうとしたことは一度としてなかった。
このイスラエルの兄とイスラエルの神を打倒するために働いてきた者たちは、これまで主の主から得た恵みの全て失い、今後一切の恵みを与えないこととし、まるごとなげ捨てる。
そうして蘇った悪魔の子孫共々は、神から栄光と誉とを得られず、新しい世々では永遠に神と神の子たちの笑い草となる。
古えの第三イスラエル王朝はイスラエルの歴史の汚点となり、名誉名声は残らず神イスラエルから除名される。
僅かに残ったその時世の栄光と遺産は、外敵を倒したダビデの勇士と彼の詩篇、エリヤの健闘と聖書と幾人ばかりであり、あとはやみとチリと化した。
イスラエルとエル~
スモウといえば、歴史上で有名な、「エルと相撲 天使」のお話しがあります。一般的には、聖書のエピソードである「ヤコブと天使の格闘」に由来すると言われている。
しかし神は、このような相撲はしません。スポーツの相撲は、現代では日本の国技となって見なされていますが、国技とは相撲(スモウ)ではありません…
あるとき相撲誌に「神相撲。古要宮の傀舞」というフレーズを見つけました...
この「傀」は、おおきい / 立派 / あやつり人形 / からくり人形などの意味を持つ漢字。
イルミナティ13血族の悪魔のスーパーエリートたちは、人々をスポーツに惹きつけたり、あるいは、外見だけのバービー人形の中身は悪魔のあやつり人形を使って惹きつけ人類を欺いてきた…
かつての古代ローマ闘技場のコロッセオのように、支配者たちは人類に食料とサーカスを見せ、気晴らしに肉体の戦いをみせて、民衆を熱狂に湧きたて金を集めてきた。
コロッセオの由来は、皇帝ネロの巨大な像のコロッスという説もある。日本語ではコロシアムというが、アム殺しをたくらむ猛獣たちとの戦いとは、これである。
現代の歴史家たちは、このネロカエサルの名前をヘブライ語に置き換え、文字列を足すと666になるという不思議さを語っている。
Amキリストは、キリスト教徒を残虐に殺した666の猛獣と今もなお、真のキリスト教徒たちを殺そうとしてきた者たちをコロス。
ローマ帝政期にできた円形闘技場の競技。現代で円形闘技場をテーマにしているという娯楽映画の米国作のグラディエーターや香港作のドラゴンへの道も、古えのローマ神が火を吹くとまるごと黒焦げとなった。
Q. 17 (イナ) をめぐる聖戦の終止符。
A.ホームラン は ホームに走れ。バットを折れ。バットは日本語で悪い。女も男もバットを振れ。わたしはいつもバットたちを折る。4S⚾滅。
イナ ミ
イナ ギ
立てに読め。右、right(ライト)は正解、light(ライト)は光。117(イイナナ)%。良い7(イイナナ)令輪7年、伊那(イナ)の神。
野球は左回りに走るが、茅の輪の正解は左ではなく右回り。「祓え給ひ 清め給へ 守り給ひ 幸(さきわ)へ給へ」。
ITALYの漢字表記は伊。ダヴィンチもこうして世に蘇エル#18。イタリア語のラは英語のthe、伊蘇(イス) laエル。
古代ローマは、オリンポスの十二神の発祥の地。わたしはこの十二神を包括している、伊の神。
そして主は、この伊蘇(イス)laのエルである。素のMOO「素モー」
日本語の早口言葉、「すももも桃も桃のうち」。すもも(プラム)と桃は、同じバラ科に属する。
「素モモも桃も百の家(うち)」蘇MOOのモモ祖🍑(ピーチ)姫。ハハ
しかしすっぱい李(スモモ)の李家は、百の家に入り込み、自分はモモ祖姫様の家や子孫ですと偽って申し、わたしの土地や空き巣に入り込んで主の国を穢した。
そしてアメリカでは、2025年9月 この度、エリックが神に相撲を申し込み挑んだので、主はあなたとついでにブラックハウス第二次政権もまるごと投げ捨てる。
23「 彼はまたこの託宣を述べた。「ああ、神が定められた以上、/だれが生き延びることができよう。」-民数記24章
日米の兄弟とブラザー~
イスラエルの神の元から日米の兄弟が生まれたように、わたしたちは国や言語や人種を越えて、真実と神によって今一つに繋がっている。
主はわたしを信じ、まことの実で繋がる兄弟とまことの神を愛する者たちをこよなく愛し、彼らに目をかけ可愛がりイスラエルの神の地を引き継がせる。
マタイ5章
22「しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」
あなた方の兄的存在は、女神に仕えよく聞き従ってきた、最も古くからの子羊キリストの女の子孫たちである。米国の良い実が弟なら、日本の良い実は兄である。
23「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 24その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」
兄が得意で、弟が不得手なことがあり、また兄が不得手で弟が得意なこともあるが、母はどちらの得ても尊ぶ。まことの実は、互いに良いところを習い、互いに親切に教え合い、協力し合うように。
21「 神を愛する者は、兄弟をも愛しなさい。これは、私たちも神から受けた戒めです」
20「 もし人が「神を愛している」と言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。見ている兄弟を愛さない人が、見たことのない神をどうして愛せるでしょうか。」-ヨハネ4章
あなた方が愛すべき兄弟とは、嘘の実であるフリーメーソンの〝ブラザー″ではなく、真の実である〝兄弟″なのである。
兄弟とは何か、判りたか。
第 58 章
1「大いに呼ばわって声を惜しむな。あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、ヤコブの家にその罪を告げ示せ。」-イザヤ58
ユダの手紙 1章
1「イエス・キリストの僕であり、ヤコブの兄弟であるユダから、父なる神によって聖別され、イエス・キリストにあって守られ、召された人々へ。
2「あなたたちに、あわれみと平和と愛が豊かにありますように。
3「 愛する者たちよ、私は、あなたがたに共通の救いについて書き送ろうと、あらゆる努力を払いましたが、聖徒たちに一度伝えられた信仰のために、あなたがたが熱心に戦うように、あなたがたに書き送って勧める必要がありました。
4「 というのは、ある人々が、いつの間にか忍び込んできたからです。彼らは昔から、この裁きを受けるように定められていました。彼らは不敬虔な人たちで、私たちの神の恵みを好色に変え、唯一の主なる神であり、私たちの主イエス・キリストであることを否定しています。
5「ですから、主が民をエジプトの地から救い出した後、信じなかった者たちを滅ぼされたことを、あなたがたはかつて知っていましたが、思い出させたいと思います」
高木神が一つの氣で結ぶ~
15 主の言葉がわたしに臨んだ、
わたしは高位置の神であって、高市ではない。
16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。」-エゼキエル37章
こうして主の主がこれらを束ねられるとき、神の元に無事に帰って来た、ユダの子とエフライムの子は一つの氣で結ばれる。これらは、永遠の兄弟の実の結びとなる。これを二つに引き裂くものはなくなり、兄弟も父母も引き裂かれることはない。
18 「あなたの民の人々があなたに向かって、『これはなんのことであるか、われわれに示してくれないか』と言う時は、19 これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる。」
主の主がこれらを合わせて一つの木と成すとき、彼れらはわたしの手の中で一つとなる。
20「あなたがその上に書き記した木は、彼らの目の前であなたの手にある。 21そこで、彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはイスラエルの子らを、彼らが行っていた国々の中から取り、周囲から集め、彼らの土地に連れて行く。」
神の霊から生まれた我が聖なる父へ。
11「わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。」
高い所からまことの一つの氣(キ)で結ぶ。生命の樹(キ)は、地上のki(キ)。
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