#06 卑弥呼と海人
龍宮神黙示録〜
日本の「ユダヤ」や「卑弥呼」に関連する書籍では、海勢頭豊氏による「卑弥呼コード龍宮神黙示録」がありますが、これは題名からして良い伏線をたどってくれています。
私がこの書籍を手にしたのは2023年の10月のことでしたが、#05卑弥呼に対して悪意的な表現が多い中で、11年も前から好意的で今日に至る ”日御子” に個人記録の歴史書として本を残してくれていました。
日巫女の統治に至るまでの大まかな情景やユダヤに関してなど、彼の魂で書かれた書籍から、多くの煌めく真実を引っ張ってくることができると思います。
10年以上も前から卑弥呼を擁護する立場に就き、さらに神武天皇が闇側であることを独自に突き止め、また卑弥呼の汚名を晴らすための一助となってくれました。
2013年の時点でこのような事が書けるのは、過去世において私や神との魂の絆がとても強かったのでしょう。
これを読んだとき、私は溢れる涙で活字がぼやけ読むことができないほど、わたしの魂と過去世の記憶に触れました。
ここでいくつかをご紹介したいと思います。
この著者の幼少期に…彼の父かユタが 叫んだと言うこんなエピソードがありました。
”この子は神の子だ、この子の幸せがよく見える。この子の将来はすばらしい” …
そうです、彼は本物のユダヤの魂の持ち主であり、本当に神の子としての務めを果たしてくれました。
現代の日本情勢を憂いて国の行く末を案じ、逆境や逆風の風潮の中においても真実を明らかにしようとする熱心で勇気ある姿勢や、正統派な文書内容からそれらを感じることができます。
ここで、このような全ての人々に感謝と御礼を申し上げたいと思います。
神人と祝女と本物の巫女〜
現代の産みの親であり育ての親である私の母は、海勢頭豊著の沖縄の聞得大君として、琉球国最高位の巫女としても活躍してくれていました。
神人も祝女もいずれも「巫女」として表現できますが、日巫女が ”神人(カミンチュ)” なら、聞得大君は ”祝女(ノロ)” と表現できます。
「巫女」とは、単に誰かの霊に憑依されるといった単純で不可解なものではなく、自らの御魂磨きによって高次精神界まで振動数を上げる行いが求められます。
それは、神と共に遠隔地から政治を司るためであり、霊的で精神的な繋がりを通して、その神と一体化した真言葉を降ろし、各国を平和に収めるための穢れ払いの役割りや指導をも担っていた、最上級の女性たちでありました。
西洋風に言えば女性祭司のような役割りに当たりますが、明治維新で神社や祭祀制度が見直され、巫女禁断令の発布により公からは廃止されています…
現代では、ノロウイルスという名称がつけられたのも、決して偶然ではありません。
現代では巫女といえば、神社で紅白の衣装を着て儀式や舞を踊る若い独身女性を思い浮かべるでしょうが、それはコスプレのようなもので本物の巫女とは全く異なります。
元来の巫女とはその様な安易で表層的な基準ではなく、国や民を想う誠の献身と、身も心も清く純潔を保っている実際の処女であることが、最高位の「本物の巫女」としての努めでもありました。
私と聞得大君は、神に真心を持って仕えて来ました。
聞得大君はその後結婚するに至りますが、過去世でも高位の役割りを誠実に全うしてきて、今日へと至ります。
生涯処女を推奨しているのではなく、また決して容易なことではありませんが、私は今世においても一人そのような役目を務めてきました。
「魂(心)」に邪心や二心や卑しさがなく、 「無我」で心も体も清らかな意識の次元が高い人ほど、神の意志や感性を正確に捉え、正しく伝えることも可能となってくるでしょう。
美意識と清らさん〜
沖縄といえば ”ちゅらさん”という有名な言葉があります…
現代における ”美しさ” とは、一般的に外観上の見た目や外見美を指すものとして使われていますが、日巫女が伝えていたのは ”清らかさ” を意味した言葉でした。
古代における沖縄では ”清(きよ)ら”という表現が使われ、当時は現地の人々の意識にも深く根付いていましたが、現代に至るまでの沖縄では、 ”美(ちゅら)” という文字へと変わってしまいました…
沖縄は透き通ったマリンブルーの海で有名ですが、海はとても清らかだからこそ美しいのです。
濁りのない純粋な水は遠くまで見通すことができ、透明度の高くて美しい水は人々を癒してくれるように、人間の心(魂)においてもまた、同じことが大切だと言えます。
清らかで純粋な御魄が、わたしの御守りとなって、すべての悪の手からわたしの身を守ってくれました。
そしてそれはまた、わたしの魂(霊)の最高の純度のクリアさから成る、危機回避能力と未来予測能力でした。
長尾と尾張~
古代日本において生まれし「海人」の永く美しい長い尾を引いた、「倭人」たる神民の無私の献身や気高い精神性、そこには源流ユダヤとの繋がりや足跡が垣間見えてくると思います。
「私は伴さんの書いたその部分に、卑弥呼と龍宮神による「世直し」の足跡と、その足跡を消すために苦労した大和王朝の、空白の時代がみえるように思いました。」-海勢頭豊著
『海部氏勘注系図』には、他にも関連したことが書かれているという。
奈良県北葛城郡当麻町にある「長尾神社」の長尾とは、尾っぽの長い龍宮神を表していると言われています。
「白雲別命とある。延喜式神名帳(平安時代)をみると、葛下郡、長尾神社とでている。「長尾神社署記」をみると、(中略)即ち、「長尾神社の一座は吉野の連等の祀るところの白雲別命の女、トヨミホトノミュト豊御富登命なり。また、井光の女、また水光姫なり」と書かれている。」-海勢頭豊
「さて、なによりも注目すべきことは、この白雲別の女、豊富登命である。じつは、『海部氏勘注系図』に同じ名が出てくるのである。となると、ことは非常に重大である。」-海勢頭豊
長尾神社のご祭神は「豊富登命」、これは後に「富長髄彦」と呼ばれるのである。
「長尾神社の伝えでは、井光の娘、水光が井戸から現れたといい、『古事記』では、井戸から出てきたのは母にあたるイヒカであるとし、伝承に若干の違いがある。」-海勢頭豊
「今時、尾を持った人が井戸から出てきた、しかも井戸は光っていた、と言われても、なぜ、人に尾があるのか、なぜ井戸から出てこなければならないのか、しかも、なぜ井戸が光っていなければならないのか、聞けば聞くほど疑問ばかりが交錯し前に進まない」と、告白。」-海勢頭豊著
ヤマトに根付いた井光とは、後の長脛彦の妻となる祝女、聞大君だったのです。これは遠い昔の話ですが、現在の私の実の父と実の母でもあります。
この謎めいた話を解き明かし、そのつづきを少し...
「そして、そのミヒカとかイヒカとかいう井戸から尾っぽの長い姫が現れたという話は、その後ずっと解明されることなくそのまま放置されているというのでした。」-海勢頭豊著
「そこで、改めて伴とし子さんが疑問に思ったという、「尾を持った人が井戸から出てきた、しかも井戸は光っていた」という話に触れておくことにします。」-海勢頭豊著
現代へと話が飛びますが、私の実の母は、三歳頃に実家のすぐ脇の川に落ちて、川に流されているところを近くの住民に拾い上げられて、命を救ってもらったという珍事件仰天エピソードがあります。
母の実家の地名、私の祖父母の家の地名は、「長尾」といった。そして誠の実の娘はやがて光へと嫁いだ。
また、祖父、誠の生誕地名は「小倉(オグラ)」といった。
123便は長野県南相木村の御座山に落ちたと騒がれたそうですが、御座山の由来は、「天皇の高御座のある山」という意味で、御座をなぜかオグラと読む。
御座山:北緯36度02分02.7秒 東経138度36分24.5秒
日月神示 第二巻 下つ巻 第二十七帖(六九)
「この方は祓戸(はらえど)の⦿(かみ)とも現われるぞ。この方祀るのは富士に三(み)と所、@海(うずうみ)に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。富士は、榛名(はるな)に祀りてくれて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、@海の仕組も急ぐなれど、甲斐(かい)の仕組、早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでいるところ奥山ぞ。あめのひつくの家、中山ぞ、富士が一の宮ざから気つけて置くぞ。」-岡本天命
甲斐は信州国、現在の長野県、誠の地。
ラピュタと🌀海部氏〜
「海人」 と呼ばれた人々は、古代日本における海洋民族のことで、彼らは海人(あまじん/かいじん)、又は沖縄弁では海人(うみんちゅ)とも呼ばれていました。
諸説出回っていますが、彼らがいわゆる ”ラピュタ人” とも呼ばれる存在であり、その源流となります。
この 「ラピュタ人ともいえる海人」であった航海民族は、淡路島の鳴門海峡でも活躍し、世界三大潮流の一つとされる ”渦潮” が発生する難しい航路も巧みな航海術を用いて水運や交易を行なっていました。
これらの航海技術や漁労や塩のみならず、金属器(青銅や鉄)や朱(塗料)に至るまで、あらゆる先端技術を築き上げました。
かつてのこの頃の政治体制は、男性が海人の労務に従事し、高位の女性が神職に従事した社会体制であったことが分かります。
明石市と鳴門市との間に浮かぶ兵庫県の「淡路島」ですが、兵庫県明石市といえば、日本の標準時間の東部子午線のポイントにもなっています。
古代日本海域の国内を拠点に活躍し、さらに遠洋航海をも可能にして優れた技術や文化を世界へともたらしたのが、この海の先駆者ともいえる ”海人” たちでした。
日月神示 五葉之巻 第02帖
「鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。カヂをはなせる人民少ないのう。何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。」-岡本天命
彼らは国内のみなならず、世界の発展に寄与した、私利私欲のない利他の貢献を果たしてきた「世界の功労者」たちなのです。
海人族に属していた氏族が安曇氏や海犬養氏で、安曇氏の傘下に入っていた航海民たちは、やがて ”海部 (あまべ)”とも呼ばれるようになり、海部氏(あまべうじ)を継承していく流れとなります。
海部氏系の神社と言えば京都の日本遺産の一つ「籠神社」が有名ですが、社家海部氏の氏神は海神である。
「籠神社」は元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」あるいは「籠守大権現」「籠宮大明神」
とも称し、現在まで海部氏が宮司を世襲しているという...
ちなみに我々は、一度もこの神社を訪れたこともなく、宮司さんもどのような方かは存じ上げません。
海勢頭豊著によると、海部氏家系図の最後には、このような言葉で締めくくられているといいます。
「本記一巻は、安らかに海神の胎内に鎮まらせ、極秘をもって、永世相伝うべきものなり」-海部勝千代
ここのお札には、三つ巴と六芒星のシンボルの中に、〇(太陽)と☽(月)が描かれた絵馬(木の御守り)もあります…
海人安曇族の起源地を辿れば、北九州(福岡)の上部に浮かぶ志賀島の「志賀海神社」#04とも繋がります。
主祭神は ”海神” として ”綿津見” が祀られていますが、彼は神の息子の御魂。
彼らの足跡は古代史における、北朝系イスラエルのエフライムとも結びついてくるでしょう。
20 「主は言われる、エフライムはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ子であろうか。わたしは彼について語るごとに、なお彼を忘れることができない。それゆえ、わたしの心は彼をしたっている。わたしは必ず彼をあわれむ。」
9 「彼らは泣き悲しんで帰ってくる。わたしは慰めながら彼らを導き帰る。彼らがつまずかないように、まっすぐな道により、水の流れのそばを通らせる。それは、わたしがイスラエルの父であり、エフライムはわたしの長子だからである。」-エレミヤ書31章
分断された神との絆とシンボル〜
また淡路島といえば、日本のユダヤ遺跡としても知られていますが、ここから六芒星と鹿が刻まれた指輪なども発掘されているようです。
また、籠神社は徳島の剣山と六甲山を結んだ先の近辺に位置しており、剣山からはダビデ紋(六芒星)と三つ巴紋様が描かれたお皿なども発見されています。
世界には様々な紋様があります....
なぜ様々な紋様やシンボルが生まれたかと言うと、人は死ねば前世を完全に忘れて忘却してしまう。
だからこそ昔は伝達手段として、ルーツや過去の歴史を知るための手がかりとして、再びルーツである源を思い起こせるように、シンボルという布石があったのです。
しかし悪魔たちは常に良い象徴を取り込み、その象徴を盾に悪を働くので、今日に至るまで常に ”善と悪” どちら側も使っているものと考えなければなりません。
いずれにしても、霊の発達している者はみな聖霊に繋がり、シンボルを見たとき彼らのように正しく解釈することができるものです。
三つ巴模様なども、卑弥呼の死後は敵側の信仰に勝手に取り込まれて悪用され、意味にも諸説ありますが、ここで、この三つの模様を1つに分解して見てみて下さい。
「勾玉」やフィボナッチスパイラルの形にも見えますし、3つの6 又は3つの9=369(ミロク)の数字や魅禄(ミロク)とも見えます。
源流を辿れば、いずれも日巫女へと辿り着くでしょう。
「日ユ同祖論」や「ユダヤ」については、「古代イスラエル」なども深掘りしてみると良いでしょう。
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