#07 恵比寿 vs 蛭子


恵比寿神と蛭子の真相〜


「恵比寿(エビス)」といえば、釣り竿と鯛を抱えてほほ笑む福々しいお顔が印象的な ”七福神” の一人に数えられている日本の神様です。


現代では、”商売繁盛”や”航海安全”や”豊漁豊作”などご利益の象徴として知られ、一般庶民にも浸透していますがただの偶像の置物と化しています。


日本の記紀によればこの「恵比寿神」は、「イザナギ(男神)」と「イザナミ(女神)」が最初に生んだ  ”御子神” であると記録されています。


しかし、なぜかこの第一子の御子神は ”不具の子” であったため、蛭児(ヒルコ)と名付けられ、両親から捨てられ葦の舟で海に流されたとして、その後は全く日本神話に登場しない神様です…


ヒルコは、水蛭子/蛭子神/蛭子命/蛭児など、漢字は違えど同じ存在で表されています。


「不具」とは、”かたわ(障害児)” や ”整っていない(不備)”といったことを表す差別用語で、”蛭児(ヒルコ)”とは決して良い命名とはいえません。


また「蛭(ヒル)」といえば、骨のないグニャグニャした人の血を吸う「ヒル(Hirudinea) 」を連想させますが、これを骨の無い子供と揶揄した “蛭子(ヒルコ) “という悪い意味合いになります。


現代では、西洋も東洋もすっかり骨抜きにされてしまったように思います.....


少し古い表現ではありますが、日本では意気地のない男らしさの無い様を、骨の無い人と表現してよく “気骨が無い”など言ったりしますが、これは弱虫や弱腰や腰抜けや怠けた男性や卑怯な男性を指した表現として使われています。


日本の記紀や歴史書に限らずネット上を見ると、この「蛭子」と揶揄される御子神は「恵比寿」と同一視され、さらには「素戔嗚」とも同一人物であるものとして伝えられています。


しかし、この上記の存在は、実は3者同一人物ではないのです…


原始古代の日本の偽天皇の悪祖〜


現存するこれまでの「日本の天皇家」は、令和の今上陛下まで126代続いてきた万世一系の世界最古の王朝であるとされてきました。


その初代天皇となったのが「神武天皇」であり、彼が日本を建国した始祖とされていることから、今でも日本の人々からは英雄視されている日本神話の伝説上の人物とされています。


しかし、…正しく真実の視点で言い換えると、この ”神武天皇” が、日本最古の王朝の流れをこの時点で公から途絶えさせたという事になります。


現代まで続いてきた日本の始祖の真相とは、実は  「大罪人」 を天皇として「祟り神」を天皇に据えてきたわけです。


日本の皇室のすり替え問題は明治維新にも起きていますが、日本の系図を根本から正しく記すには、それ以前の ”日本の侵略者”であった古代の神武天皇”から根こそぎ修正しなければなりません。


悪人が神の座に据え置かれ、現在の皇室や天皇家の人々はこの侵略者を、日本の神々しい天皇の最祖先として奉っているわけです…


現在の日本の皇室を見てもお分かりのように、日本に限らず世界中の王室は汚職と腐敗で民の暮らしを蝕んでいます。


今でも皇室や政府は汗水垂らして働く民の税金を搾取して垂れ流し、長い歴史の裏では悪事の限りを尽くして人々を欺いてきました。


このような現代の日本の状況を見ても、源流を辿れば、何がどこから腐敗してこのような現状に至ってきたかがご理解いただけるかと思います。


日本書記や古事記は、現存する最古の書物とされて重宝されてきましたが、これは悪魔側によって面白おかしく偽装改竄された偽書なのです。


正しく記すなら、当時大和朝廷側から揶揄されたこの ”大和のまつろわぬ民”こそ、古代日本における真の英雄と本物の勇姿たちなのです。


古代出雲時代における長髄彦は、当初は#05日巫女率いる倭国の軍の総大将として活躍してくれていました。ですから彼は、元は大和(ヤマト)の指導者ではなく、正しくは倭(ヤマト)の指導者であったのです。


神武東征の真実のお話し〜


しかし日巫女の死後、”神武天皇” が日本の王座欲しさに長髄彦の日高見国の東北まで手を伸ばし、新たな土地を求めて長髄彦らに ”義のない戦” を仕掛け、彼らの領土を不当に侵略していったことから再び ”血みどろの戦”が起きたのです。


この悪しき侵略に対抗するために自ら最前線に立って果敢に戦っていたのが、古代出雲族の最高の軍師であった”長髄彦”であり、彼は「倭」地方の首長でもありました。


長髄彦の元々の苗字は、 ”富 長髄彦” として豪族であった富家を名乗っていましたが、やがては富の字まで失うこととなりました…


侵略者側の悪行に恐れ慄いた人々は、悪魔からの災難を逃れたいが為に、長髄彦に対して同じ富家の名を名乗らないようにとまで言って彼を突き放したのです。


”出雲の人々”のみならず、親戚とも言える”富家の人々” までもが、長髄彦の呼びかけた聖戦への参加協力と要請を拒み断ったことから、悪への対抗馬は少数精鋭となりました。


ここで ”古代出雲”と”出雲”、ここで”倭(ヤマト)”も”富家”も袖を違えて、再び分裂していく”大和(ヤマト)”となっていったのです…


この様な歴史的背景から長髄彦からは富の字が消され、”富(トミ)”長髄彦ではなく”登美(トミ/トビ)”長髄彦と変わっていった。


したがって、”前期の古代出雲国 ”と”後期の出雲国” の出雲王家などは、同じ日本に在った同族でありながらも、それ以降は全く別の信念や概念から成る ”別々の州”として区別して見なければなりません。


#06 から永い尾を引いていた長髄彦は、実際には神の第一子として正当な皇位継承者であり、またかつての「恵比寿神」でもあったのです。


気骨ある最高の戦士たち〜


多くの古代人の集団がいた中で、彼だけが唯一祖国と神の血統を守ろうと最期まで怯む事なく戦った、古代出雲における屈強な軍師でありました。


神武天皇らによって追いやられて東北に流れた長髄彦一族の末裔を”蝦夷(エミシ)” と呼びますが、この文字の”夷/戎(エビス)”は、漢字は違えど同じく”恵比寿(エビス)”と同じ発音読みをします。


この恵比須(戎)の漢字はまた、十戒や戒律にも使用されている漢字でもあります。


彼らは長髄彦の下に就いて卑弥呼の戒律を守り共に戦った、古代日本の最高の勇姿たちであった清廉潔白な最高の忠誠心を持つ神の一郡でした。


それがこの ”神の民であった蝦夷(エミシ)”  たちであり、彼らこそが心技体を併せ持った「日本屈指の気骨ある本物の強者たち」だったのです…


しかし、高潔な彼らは少数派であったがために次第に多数派に追いやられ、神武天皇やその後の大和朝廷側から酷く惨い迫害を受けることになりました。


現代で世にゆう「武士道」とは、今では鎌倉や江戸時代に始まったものとされていますが、それも源流を遡ればこの時代が元になります。


武士道の真の源〜


真の気骨ある「日本の武士道精神」の本物の存在感とは、古代日本における長髄彦から始まる雄々しさであり、彼がその「サムライ」の原型なのです。


古来の日本の武士たちは、甲冑姿の鎧を身に纏いました。


七福神の一つである「毘沙門天」は、勇ましい甲冑をまとった姿で知られ、威光や武神として信仰されています。


異国の侵略者たちから女子供を守り、神の下で義を果たす為に、一歩も怯むことなく最期の一手になるまで戦ったのがこの長髄彦でした。


それに対して悪魔側は、罪なき蝦夷たちの血肉と名誉を奪い、違法に不当な迫害と侵略を続けて日本の王座に就いた卑怯千万な野郎たちだったのです。


正しく記録するならば、この ”神武天皇” こそ ”倭(ヤマト)のまつろわぬ民” であり、古代日本の生命と氣を奪い、日巫女や長髄彦の叡智や英氣をヒルのように吸って日本の根を枯らしてきた ”蛭子神”と言えるのです。


「蛭子」とは、正に悪魔側の人間たちに相応しいネーミングなのです。


蛭子に”神”という文字をつけることすら不相応ですので、悪魔から”神”の字を剥奪すべきでしょう。


また、”蛭子”というのはこれらの気骨の無い人々と同様に、倭国の民でありながら正統なる神の側に立って正義の為に戦わず、保身と命ごいのために侵略者に就いて流れていってしまった ”弱く臆病で意気地なしの大和民”たちの方であったのです。


長髄彦という名前の漢字を見てください、二文字目の「髄」の字の中には正に「骨」が「有」ります。


彼は名前負けすることも、また神の子の名に恥じることもなく、”日本で最も気骨があった九州男児” でもありました。


彼こそが日本における元祖「武士道精神」を体現した男性であり、神の武具を完全に備えていた「神武」の名誉と、その称号の座に相応しい存在であったと言えます。


エペソ人への手紙6章


 11「悪魔のどんな策略にも立ち向かえるように、神のすべての武具で身をかためなさい。」


13 「ですから、神の全ての武具を身に着けなさい。そうすれば、悪い日にも耐え忍び、すべてを成し遂げて立つことができるでしょう。


14「しかし、そのためには、腰に真理の帯をしめ、神の承認という胸当てをつけなければなりません。」


ですから、彼はいつの時代も神の側にいます。


蛭子の本当の語源~


今では恵比寿といえば、日本酒造のビールのブランド名として”恵比寿ビール”としての商標で使われ、人々は恵比寿と言えばビールや渋谷ガーデンプレイスなどのイメージをリンクさせられています…


また、西洋で知られる「バッカス」は、ワインの神様としてお酒や快楽などで人々を酔わせたことで  「狂乱の神様」 や「暴れん坊将軍」として神話にも残されていますが、これは恵比寿の事ではありません。


暴れん坊将軍とは、繰り返し「島流し」にされたこれらの ”不具の子” として揶揄された「蛭子」たちのことなのです…


日本語で島流しとは 「罪人の流刑」のことで、”水に流された蛭子”とは、まさに「バカ」や「カス」の語源となるような「大罪人」や「犯罪者」である奴らの方であったのです。


現在でも周りをよく見渡してみてください... 一体誰がこれまでの熱狂的な狂気や破壊や混乱や狂乱を引き起こしていますか?


時を超えて、悪魔崇拝バッカス信仰廃止令を発布。


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