#30 パンと釣りとリアル・マーメイド




パン か 餌か~


最も人気があるQアノン用語の一つである「Q」による「ドロップ」は、「パンくず」と呼ばれ「Q」自身もこの言葉を使っているそうです。


しかし人々は、誰からパンくずを与えてもらっているのだろうか...


これらの投稿を分析する信者たちは、「パンくず」を組み立てて「生地」を、つまりは「パン」を作り、手がかりを組み合わせて物語の理解を深める「パン職人」であると自称しているようです。.


あるとき天から棚から牡丹餅が降って来て、キリストの聖体が祭壇に置かれ、彼らはそこから黙ってパンやもちを盗んでむしゃむしゃ食べて自分の懐と腹を満たした。


彼らは毎日神を食い物やネタにして各々の財産を築いたが、感謝もありがたみも感じず、神の前に罪を犯し、聖霊を冒涜し、侮辱し、彼らはキリストに対して罪を深めただけであった。


現代におけるキリスト教では、「Christ(キリスト)」と「mas(ミサ=礼拝)」が合わさり、ミサはカトリック教会で礼拝の際に、神父から信者にパンを与えることともされています...


しかし、それは本物のパンくずか偽物のパンくずなのか....


聖書にはイエスがパンをちぎって人々に与えたという有名な話があります。


パンを食の象徴とすれば、生きるために必要で、食べる為には働いてお金をもらわなければパンさえ買えません。


しかし人々の中には、多くのパンを買うために手段を選ばす悪魔に魂を売ることすらあります。


また腹を満たして高級な生活を維持する為なら、堕落した関係に基づく汚職や賄賂という腐ったパンを喰らうものもいます。


このパンは、時に「餌」ともいえます。


人々は、ニンジンをぶらさげた馬のように人々は夢中になって走っています....


NESERAGESERA、ビットコイン、暗号通貨、XRP、株、主にお金にまつわる情報は、人々の意識を引き付け熱中させています。


しかし、あなたの情熱とお金と時間を奪った挙句の先はどこだと思いますか....


“N”ESARA/“G”ESARA…頭文字略してNG?知らんけどWW


ちなみに私はこれらを推奨したことは一度もなく、また手を出したこともありません。


光側も闇側も、あなたに真実のパンくずを少しずつ与えるでしょう...


しかし...闇側が ”餌という真実の情報” や ”小金” を人々にばら撒き与える理由や魂胆は何だと思いますか?


悪魔はBコインや金銀札束で人を釣るぞ。


そして、あたたが注ぎ込んできたお金の行先や資金提供先はどこなのでしょうか?


闇側は真実の情報と偽情報を織り交ぜながら人々を釣って自らの懐を増やし、人々もまた闇側の組織を肥やすためにお金をつぎ込んできたのでしょうか....


皆さんは、光側か闇側どちらに貢献していたのか。


現代の荒野の誘惑~


荒野の誘惑は、聖書正典である新約聖書にも書かれているキリスト教では有名なイエスのエピソードの1つです。


彼は荒れ野に送り出され、40日間断食していたところにサタンが現れてイエスを誘惑しに来る場面の様子が記されています。


私もお腹がすいていました....


それは、私はその日暮らしの様で財産もなく、また貧しく、また人肌恋しく、また人恋しく、肉体的にも物質的にも満たされていなかったからです。


荒れ果てた荒野...


それは現代社会に生きる私にとって、まるで私の荒れたこころややさぐれた心のようでした。


...この世にひとり理解されず、嘆き、悲しみ、塞ぎこみ、また怒りに満ちて、私は荒野で泣き叫んでいました。


そんな荒れた渇いた土地で40年近くさまよい最も飢えていたとき、サタンから直接誘惑を受けたのです。


かつてイエス・キリストがそうであったように、第二の試みに直面したのです...。


・・・彼は世界一お金を持っていて、もし私が彼の誘いに乗れば、一晩で世界を手に入れ、彼の妻になり、物質的な財や富や名声まで手に入れることができる......。


現代の第二の試み~


『それから、更に悪魔はイエスを高い所に連れていき、瞬く間に世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」』ルカによる福音書45-8節(口語訳)


両親と暮らす生活の寂しい独身女性を、彼は簡単に釣れると思ったのでしょう。


―神の釣り と 偽の神の釣り―


しかし、....漁師の手からするりと逃れる魚のように、私を捕まえようとする悪い男や輩からは私はいつもするりと抜けるのだ。


彼らは文字通り大きな魚を逃したでしょう。


今日まで磨き上げてきた自分の霊的鍛錬された霊力によって、私は彼らのかけた罠から逃れることができたのです。


つまり、彼らの網に引っ掛からなかったという事だ。


そして、彼よりもさらに高いところから網をかけていたのは誰だと思いますか?


疑わしくとも、犯罪を犯さない限り捕まえることはできません。


ですから、サタンがどのようなことをしようとしているのか、それは未来がどうなるかわからないように、その時が来るまでは決して知ることが出来ませんでした。


何もなければよかったのです。。。


相手をよく深く知るためには、時に彼の導くままに流されながら、私をどのような方向に導こうとしているのかを探らねばなりませんでした。


しかしここで、#19花婿から花嫁を奪おうなどという「悪い計画」を実行したという事が判明したのです。


つまり、サタンは私を「釣り」に来たが、神があなたを「検挙」したという事です。


イエス・キリストは「漁師」です。

また、私の原初の神の息子は釣りが得意な#07恵比寿である。


私はまた、#22イエスの偽情報という悪魔の網と罠から逃れた大きな魚のような人でした。


現代の現実リアル・マーメイドのお話し〜


「人魚」と言えば、現代ではスターバックスのロゴやDISNEY映画の中のリアル・マーメイドの印象しかありません。


人魚のシンボルは、若者の間ではお洒落なイメージとして人気のコーヒー店舗ブランドのロゴとして広く認知されて世界中で愛されています。


しかし、このスタバのシンボルの元は、セイレ-ンというギリシャ神話の尻ヒレが二股の半身半魚人の物語から来ているでしょうが、決して良いイメージとは言えないのです...


「二股」...二つに裂けて分かれている股、それは縁起も意味も行為も良くありません。


ギリシャ神話でのセイレーンは、死の歌声と呼ばれる美しい歌声で船乗りを誘い、海に引きずり込むという海の怪物です。


しかしこのセイレーンは、実際に半人半魚人や半身半鳥であったわけではなく、ただの人間の女性です。


これは歴史的実話に基づくもので、男性が女性のさそい水という性的魅惑に簡単に囚われ、悪女の快楽に溺れてしまうといった教訓を含んだ比喩なのです。


それがセイレーンという悪女が「死の歌声」を持つと言われる所以で、船乗りは性的魅力や甘い囁きに誘われて自制心を失い船から飛び降りて海で溺死してしまうというものです。


しかしこのセイレーンのこの物語さえも時代の変遷とともに真の姿や歴史は消え去り、スターバックスのただの珈琲店のシンボルイメージへと変化しています....


この世の悪魔とサタンは常に真理と教育を破壊し、神の教本や言葉を他の概念へと結び付け、真の歴史をもみ消して人類を堕落させようとします。


セイレーンも「海の女神」としてのモチーフとして使われていますが、「本当の海の女神」とは、男性を悪い道に誘い込んで性的に溺れさせる海の悪女であるセイレーンとは異なります。


「真の海の神」とは、原初の海や水の女神である。


それは、メソポタミア神話ではティアマト、日本神話では瀬織津姫、ヒンドゥー神話ではサラスヴァティ―や弁財天など... 多くの名前で遺されています。


私は人々に真実や真理や教訓や比喩を用いて説いてきた教育者であり、人形姫の良い教えのモデル(型)となる海の女神でもあります。


それは、私の真実から成る究極の実りの真理です。


本物の生きるパンくずと魚~


私の人生の血と汗と涙と努力の結晶、その言葉はわたしの肉であり、パンであり、キリストの体である。


私は世界最高の霊力を身につけてきた真理の開拓者であり、また自分の知恵を惜しみなく分け与えることで人々を救い上げようとしてきました。


正確に言うならば、キリスト教におけるパンとは、キリストの体から分け与えられる神の言葉ですが、その本物のパンを与えることができる体を持っているのは、神だけです。


しかし、ピラニアたちは私に反抗して噛みついてきます....


また卑しい雑魚たちは、私の言葉や知恵を黙って盗み我物にした上に、それらを自分の金や利益や名誉に変えているのです...


審判の時、天の御国に入る人々を、神はどのように査定すると思いますか?


みんなはどんな魚類かな?

雑魚か小魚それとも大魚?それともピラニア?


さて、皆さんはイエスの網にかかった魚でしょうか?

御子イエスの網にかかった人たちは誰なのでしょう?


しかし神は慈悲深く、幻想や映画や快楽や嘘に溺れている小魚たちと全人類を現実の世界へと引き上げようとしています。


そして私は、最愛の人を救い上げ、天国へと引き上げるでしょう。


最初の試みと最後の試み~


そこで悪魔はイエスに言った「神の子なら、この石に、パンになれと命じたらどうか」。— ルカによる福音書4章-3


サタンは、神の子ならこの石をパンになるように変えられるかと無理難題を言いますが、イエスは『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」などと答え、サタンの誘惑を退けます。


だれもが石をパンに変えることが不可能なように、神も人の子であるため、そのような事はサタンの言いがかりという難癖なのです。


モーセは「それは主である神が、あなたに、人はパンだけでなく主である神の口から出る全ての言葉によって生きているということを知らせ悟らせるためであった」と語っています。


また、人間というものは、物質的に満たされるのみならず、精神的にも満たされて生きることが大切であり、またその精神が満たされるものを求めて生きる存在であるということを示しています。


生きるためのパンは必要不可欠ですが、キリストのパンを失えば人は道に迷い、生きる本質や目的を見失い、人間の霊は腐敗し堕落するのである。


イエス・キリストが同じようにあらゆることで誘惑されたように、すべてのことについて、神もわたしたちと同じように試練に遭ってきたのです。


すべての人類は、この世のサタンから誘惑を受けていたのです。


しかし人々は、神やイエス・キリストを信じ信仰していても、口先だけで本人がその誘惑や試練や困難に打ち勝つことができないでいるのです。


私は時代時代のあらゆる乾いた荒野の中で、そのすべての難関を潜り抜けてきた人物なのです。


そして現代を生きる私は、霊的ダンスで物理的接触なしに彼の仮面を見抜き、そののち彼にこのように言いました、「お前じゃない。」


こうしてサタンの誘惑を完全に退けたのです。


―神 vs サタン―


マタイによる福音書(口語訳) 41-11節では、サタンは「試みる者」とも呼ばれている。またイエスに「サタンよ、退け。」と言われると、素直にイエスを離れ去っている。


さて、神を試みた現代のサタンは、私に激しく叱責され真実を暴露された後、どうなったでしょうか...




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